小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1193 シリウスで気付く多様な価値観  物事には光と影が

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 太陽を除き、地球から見える最も明るい恒星(自ら光を発する天体のこと)はシリウスおおいぬ座の一等星)だという。いまの季節、夜空に輝いて見えるので目に付く星だ。出雲晶子著「星の文化史事典」(白水社)には、星に関する様々な話が出ており、シリウスについてもやや長めの文章で紹介している。

 そこには国によってこの星に対する見方が異なることが書かれていて、世界では物の見方が多様であることを再確認する思いで読んだ。 出雲さんはこう書いている。前半部分はマイナスイメージだ。

シリウスは古代の人々にもよく知られた星だった。どちらかというと不吉な星であり、古代ギリシアではオリオンの犬の星と呼ばれ、続く古代ローマでも犬星と呼ばれた。

 ローマ初期の詩人オウィディウス(前43~紀元後17・皇帝アウグストゥスにより流刑になり、黒海沿岸のトミスで没)は、ローマでは麦の病気や日照りは犬の星シリウスが引き起こすと考え、司祭がシリウスに犬の内臓を捧げる儀式を行なっていたと記録した》

シリウスの語源はギリシア語の「焼き焦がす」という言葉からきているが、大地を焼き尽くす旱魃のことである。前出のオウィディウスは、シリウスを「炎の色の星」と記述している。紀元前はシリウスが赤く見えたのかどうか、星の色(赤くは見えない)はそんなに短期間で変わるものではなく、天文学者の間でも長年の議論があるが結論は出ていない。

 中国では、紀元前一世紀の「史記」などに、古くから天狼という名前で登場する。狼は都市の近くに出没し、家畜を群れで襲う身近な恐ろしい動物で、中国でもシリウスは盗賊の首領とされ、不吉な星だった》

 そして、後半部分は次のように続いている。

《西洋星座誕生の地メソポタミアでは、シリウスはカッカブ・バン(弓の星)という星座で、吉でも不吉でもなかった。日本でも、シリウスは大星(注・青星とも)と呼ばれて、そのような意味(ブログ筆者注、不吉な星という意味)はなかった。

 一方、古代エジプトでは、シリウスは人気の高い女神イシスを表わす星とされた。イシスの星シリウスは、ナイル川の増水が起こる頃に太陽とともに昇り、豊かな土壌をもたらす星として、王や神官、民衆からも愛された。なおイシスはギリシア語の呼び名で、エジプトの言葉ではアセトという。またペルシア(昔のイラン)の神話でも、シリウスは雨を降らせる恵みの神であり、仲間の北斗や昴とともに、日照りを起こす悪い神々と戦う》

 一つの星だけでもこれだけの見方の違いがあるのだから、世界の人々の価値観は多様であることが分かる。以前、旅行でトルコを訪れた際、あちこちの土産物屋で「ホジャの小話集」という本が売られていて、一冊買ってきた。ホジャというのは、ナスレッディン・ホジャというトルコ民話に出てくる機知とユーモアに富んだ主人公のことで、実在したのかどうか説が分かれているという。

 その小話は数多いそうだが、私が買ってきた中にこんな話があって、考えさせられた。

 裏表  一人がホジャに尋ねた。 「あんたの鼻はどこについておるんかね?」 ホジャは、自分の首の裏側を指差した。男は笑い出して、ホジャを馬鹿にした。 「ハッ、このホジャは、自分の表も裏も分かっちゃおらん!」 「ああ、物事の裏も分からん奴に、表がどうして分かろうかい」

 

 シリウスとの対話 トルコの小さな物語(7)ホジャのとんち話とノーベル賞の山中教授