小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1024 トルコの小さな物語(7)ホジャのとんち話とノーベル賞の山中教授

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 京大の山中伸弥次教授がノーベル賞の医学・生理学賞を受賞することが決まった。「細胞の初期化」という難解な名前だが、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖(再生)能力を持つという「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功したことが評価されたのだという。近いうちに受賞するといわれていたので、喜ばしいことだ。そんなニュースが流れた夕、日本でいえば、一休さんのような、とんちの話を集めた「ナスレッディン・ホジャ」という人物を主人公にしたトルコの小話集を読んだ。

  笑い話や権力者への皮肉が550以上の小話になっている。機知とユーモアに富んだ人物といえば、日本では一休さんであり、漫画でいえば長谷川町子作のサザエさんやいじわるばあさんが当てはまる。赤松千里さん訳の「ナスレッディン・ホジャ202小話集」をトルコのドライブイン売店で買った。パラパラと頁をめくって、その内容になるほどとうなった。こんな人が(実在かどうかは分からないが、庶民の願望をホジャという人物が代弁しているようだ)中東にもいたことに驚く。同時に、住む地域は違っても、人間は同じなのだなと思うのだ。

  山中さんは神戸大医学部の学生時代、ラグビーに没頭し、医学部だがラグビー学部に所属しているといわれたそうだ。臨床も苦手で研究の方に進んだ。それがよかったのだろう。「何でもいいから夢中になることが大事」と振り返り、後輩にも夢中になれる何かを探すことの必要性を訴えている。

  ホジャの小話3題。

 1、 若いころ

 茶店で、男たちが集まっておしゃべりをしていた。みなが「いまごろの若いもんはだらしがない」と口をそろえた。「わしの若いころはこうじゃった。ああじゃった。しかし、いまはのう、年齢をとって、3歩歩くと疲れてしもうてな」などと話していた。ホジャは、我慢できずに口を開いた。「わしゃあ、若いころから全然変わっておらんわい。若い時のままじゃわい」

「しかし、ホンジャ、そんなわけがあるかね。どうしてそう言えるんじゃね」

「ああ、うちに臼があるんじゃ。若いころには、持ち上げられんかった。いまも、持ち上げられんのう」

 

 2、 作法

 ある日、ホジャはひどく腹をすかせていたので、ピラフの鉢に5本の指を突っ込んで平らげだした。それを見ていた一人が声を掛けた。「ホジャ、どねえして、5本の指で食べていなさるんかね」

「指が6本ないからじゃ」

(注)正しくは、親指、人差し指、中指の3本で食べるのだそうだ。

 

 3、役に立つ

 ホジャが茶店に入ってきて、思慮深げに口を開いた。「お月さんは、お日さんよりも役に立つわい」

「何故じゃね」皆が尋ねた。

「明るい昼間よりも、暗い夜の方がずっと光がありがたいじゃないかね」

 

 コロンブスの卵を思い浮かべる小話だ。では山中さんとの接点は―。研究のことは私には分からない。しかし、ホジャの話は物の見方は多様であることを教えてくれるし、山中さんも多様な考え方から人類の夢といわれるiPS細胞を作り出したのだと思う。山中さんのような独創的研究をする若手研究者は、ほかにもいるだろう。それは、意外な人物かもしれない。

 

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(紀元前11世紀のエフェソスのセルシウス図書館、こんな大昔にも図書館があったのだ)