小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1548 ある障害者の体験 電車内は文化レベルの尺度

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 障害者支援のNPOを運営している知人が視覚障害者になった。視野狭窄の病気が進行したためで、医師からは外出する際、白い杖を持つように勧められ、知人は白い杖を持って外出、電車に乗るようになった。そこで知人が体験したことは、現代社会のよそよそしさだった。  

 知人は、本来なら混雑している電車には乗りたくない。だが、やむを得ない事情でそうした時間帯に乗ることがある。白い杖を持って立つっていると、前に座る人やその横の人たちは突然スマートホンを見始めたり、本や新聞を広げたりして知人に気づかないふりをする。特に若い人が多い。意地悪で人間観察をしているわけではないが、ほとんどの人が同じ行動に出るので、つい笑ってしまうという。知人はこうした電車内の様子に「時代は変わってしまった」と感じている。  

 知人は、担当の医師に対し「まだ少し見えるので杖を持たずに歩くこともある」と話したことがある。これを聞いた医師は「杖を持たないと第三者はあなたが普通の人だと思って突然ぶつかってきて、ホームから落ちる恐れがありますよ。あなたの安全確保のために杖を持ちなさい」と知人を叱ったという。以来、知人は外出に杖を持つようになった。視覚障害者が、ホームから落ちる事故も後を絶たない。知人は、プラットホームと電車の隙間や段差が障害者向きでないことをつくづく感じている。  

 新潟県出身で、視覚障害の女性のための教育や地位向上に苦闘した斎藤百合(1891~1947)の生涯を描いた粟津キヨ著『光に向って咲け』(岩波新書)という本を思い出した。百合は幼児期に失明しながら東京女子大の第一期生になった人で「弱い者がどう扱われているかによってその国の文化程度が分かる」と言い続けた。電車内で、障害者がいても見て見ぬふりをする人が多い現代日本。文化程度はどの辺のレベルなのだろう。  

 百合はヘレン・ケラー(視覚と聴覚の重複障害者で、社会福祉活動家・教育家)が来日した際の歓迎会(昭和12年4月29日)で「日本の盲人社会で、一番悲しむべきことは、お金がないことではございません。新しい職業がないことでもありません。本当に悲しむべきことは、真に盲会を憂うる人物を持っていないことでございます」とも述べている(同書より)。