小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1541 列島に限りなく降る雪 天から送られた手紙

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「汽車の八方に通じて居る國としては、日本のやうに雪の多く降る國も珍しい」 民俗学者柳田國男は『雪國の春』の中で、こんなことを書いている。  

 現在日本列島は大雪が続いている。まさに柳田國男の言う通りである。日本を訪れ、広島に入ったオーストラリア人が「日本がこんなに雪が降る国とは知らなかった」と話したとテレビのニュースでやっていた。出発したオーストラリアは真夏だけに、その落差に驚いたのだろう。  

 この正月、北海道から届いた年賀状には雪について触れたものが多かった。「大雪にバテ気味です」「大雪と闘っています」「雪に埋もれています」「びっくりする大雪で本を友に冬眠中です」などと添え書きがあった。私自身、かつて札幌で暮らし、一晩で1メートル近い積雪を経験している。だから知人、友人たちが雪と格闘していることが実感できるのだ。雪との格闘は北海道に限らない。日本海側の過疎地帯の高齢者たちも、この大雪の中、耐えながら暮らしているのだ。  

 1963年1月から2月にかけて、新潟県から京都府にかけての日本海側と岐阜県山間部が大雪に見舞われ。「三八豪雪」といわれ、死者228人、行方不明者3人を出す大きな天災になった。その再来にならないことを祈りたい。 「限りなく降る雪何をもたらすや」 明治から昭和にかけて医師として働きながら俳句を作り続けた西東三鬼の句である。雪国に住む人たちにとって、いま降り続く雪に対し、たしかに「限りなく……」という思いを持っているだろう。

「雪は天から送られた手紙である」 雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎の言葉である。大雪は、天からの何かの警鐘なのだろうか。北国の雪景色は、まだ当分続く。一方で、私の住む関東地方の太平洋側は風が冷たいものの、陽光がまぶしいくらいである。昨日は庭の梅(南高梅)の花が一輪だけ咲いていたが、きょうになると、さらに白い花が増えている。梅は春の花であり、俳句でも春の季語である。いずれにしろ、わが家の庭の梅は立春のころには、満開になるはずだ。  

 梅の北限は北海道の旭川あたりらしい。旭川梅の花が満開になるのは5月というから、かなり先の話である。いま、旭川は深い雪の中にある。東京から旭川に移住した知人は、きょうも除雪に汗を流しているに違いない。

 写真 ある日のわが家周辺の夕景