小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1439 2月の風景 枯木立ににぶい日光

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 二月はやはだかの木々に日をそそぐ(長谷川素逝) 

 きょうから2月である。寒い地域では、霜柱と氷柱が珍しくない季節だ。だが、4日は立春だから、日の出も次第に早くなり、光の季節である春の足音が近づいている。長谷川素逝の句(早いものでもう2月だ。葉が落ちた木々に注ぐ日の光も次第に増している=筆者)は、そうした2月の風景を見事に表している。 とはいえ極端な寒波によって多くの地域で大雪が降り、北国の春はまだ遠い。

 札幌で計3年半の生活を送ったことがある。一晩で青空駐車の車が埋まってしまうドカ雪は幾度か経験し、雪には慣れた積もりだった。だが、2014年2月8日から9日の首都圏の大雪には驚いた。何しろ私の自宅のある千葉市の観測地点で1966年の統計開始以来最大の32センチの積雪(わが家では35センチ)を記録したからだ。

 この冬も1月の寒波で東京や埼玉、神奈川に雪が降り、交通機関が大混乱に陥り、通勤のために電車を5時間待つ人々の姿もテレビで放映された。しかし、私の家周辺ではありがたいことに一昨年の大雪以降、ほとんど雪らしい雪は降らない。そして――。2月になった。

 窓を開けると、遊歩道の街路樹が見える。葉を落としたはだかのけやきである。枝にはムクドリが2羽止まっている。その姿は美しいとはいえず、余計に寒々さを感じてしまう。だが、この遊歩道を少し歩いて行くと、紅梅が満開で梅の花も咲き始めている。やはり、春が近いのである。

 夭折した詩人、立原道造(1914~39)の『浅き春に寄せて』という詩がある。のちに高木東六が曲をつけて歌になった。その詩は道造の2月の心象風景を描いている。

 今は 二月 たつたそれだけ

 あたりには もう春がきこえてゐる

 だけれども たつたそれだけ

 昔むかしの 約束はもうのこらない

 

 今は 二月 たつた一度だけ

 夢のなかに ささやいて ひとはゐない

 だけれども たつた一度だけ

 そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

 さう! 花は またひらくであらう

 さうして鳥は かはらずに啼いて

 人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

 今は 二月 雪に面につづいた

 私の みだれた足跡……それだけ

 たつたそれだけ――私には……

       (詩集「優しき歌 Ⅰ」ハルキ文庫)

 2月。立原のみならず、巡りくる春を思わざる得ない季節なのである。

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写真 1、遊歩道に咲いた紅梅 2、咲き始めた梅 3、満開のロウバイ

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