小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1619 雪についての断章  私の体は首都圏仕様に

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 子どものころから雪景色は見慣れているはずだった。だが、久しぶりにかなりの雪が降り、一面が白銀の世界になると、やはり家から外に出てしまうのだ。それは放浪の俳人種田山頭火の「雪をよろこぶ児らにふる雪うつくしき」の心境といっていい。朝、家族に「足元に気をつけて」と注意を受け、長靴で外を歩いた。  

 雪が降ると、三好達治山村暮鳥の短い詩を思い浮かべる人は少なくないだろう。  

 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪はふりつむ。     

 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪はふりつむ。              

              (三好達治・測量船より)   

 

 きれいな    きれいな    雪だこと    畑も    屋根もまつ白だ    

 きれいでなくつてどうしませう    天からふつてきた雪だもの              (山村暮鳥・日本児童文学大系 第14巻より)  

 2つの詩は、牧歌的な雪の世界を連想させる。ところが、首都圏では雪は「天からのありがたくない贈りもの」になってしまうのだ。交通機関は乱れ、通勤通学の足は混乱する。足のリハビリを兼ねて通っている近所のスポーツジムは、ふだん車でやってくる人たちの姿がなく閑散としていた。

 幸い、4年前の大雪に比べ積雪量が少なく、日中に陽気でどんどん消えている。4年前はわが家の庭で35センチもあったが、今回は10センチくらいだったから、溶けるのも早いのだ。  

 かつて札幌で暮らしたことがある。雪が降り積もる中を平然と歩いていた記憶がある。今朝、近所の調整池に行くまでそろり、そろりといった状態で、今の私の体は「首都圏仕様」になってしまったようだ。長靴を履いていても足が冷えてきて、長くは持たない。結局、短い朝の散歩になってしまった。北国に住み、雪との格闘を日課にしている友人たちには「軟弱になったね」と、笑われること必至である。     

 雪の降る町といふ唄ありし忘れたり 安住敦  1952(昭和27)年、高英男が歌う内村直也作詞、中田喜直作曲の「雪の降る町を」という唄がヒットした。抒情的な詩であり、メロディも美しい。安住はこの唄を思い浮かべて句をつくったといわれる。今、この唄を知っている人は少なくなったのではないだろうか。

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