小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1395 これが安藤忠雄の真骨頂? 藤田嗣治壁画の秋田県立美術館

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 藤田嗣治(1886―1968)の壁画「秋田の行事」を見たのは、かなり昔のことだ。秋田市千秋公園(旧久保田城跡)に面した旧県立美術館は、秋田の資産家、平野政吉のコレクションを中心に展示し、藤田の壁画が巨大に見えた。

 その壁画は、2013年9月にオープンした新県立美術館に引っ越していた。だが、新県立美術舘は打ちっ放しのコンクリートで覆われ、情緒ある秋田の街には浮き上がっていて、違和感があった。 藤田はパリを拠点に、乳白色の画(え)肌に面相筆で線描した裸体画で知られる洋画家だ。

 旅したメキシコで壁画運動に触れ、いくつかの壁画作品も残した。その一つが「秋田の行事」である。二科美術展会場で知り合いになった平野の依頼で秋田に滞在し、15日でこの作品を描いたが、実際にこの壁画を展示する旧県立美術館が開館するのは、壁画制作から約30年後の1967年のことである。

 旧美術館が耐震性に問題があり、その工事費用が巨額になるとして新しい美術館が建設された。設計者は大きな話題になった新国立競技場デザインコンクール審査委員長の安藤忠雄氏だ。コンクリート打ちっ放し建物の設計で知られ、フランス人設計者で、戦後の建築界に大きな影響を与え、日本では国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエを心酔しているという。

 新美術館の外観は写真のように無機質である。ホテルとにぎわい交流館というコミュニティーセンターのビルに挟まれているが、このような姿の美術館の建物は城下町には似合わず、好きになれない。何よりも目立つ存在であることを安藤氏は意識したのだろうか。2階に展示された藤田の壁画は、真ん中からやや左に寄った橋を堺にして右側に久保田藩当時、町人町といわれた外町の祭りや年中行事を描き、左には秋田の冬の暮らしの様子が展開されている。

 竿灯祭りやかまくらという秋田を代表する祭りのほか、スポンサーの平野も祭りを見守る一人として登場し、壁画からは郷愁なようなものを感じる。だが、館内は子どもが歩くとその音が、パタパタとかなり耳に響いて落ち着かない。

 2階の展示室に面してミュージアムラウンジがある。その前面には巨大な長方形の水盤があって水が湛えられている。ソファーに座って外を見ると、水盤と前方の千秋公園の掘りの水が一続きになっているように錯覚する。安藤氏はこうした設計が得意なようで、大阪府立狭山池博物館もコンクリートと水がテーマになっているそうだ。

 秋田の新県立美術館は地元でも賛否両論があるようだ。秋田の街にマッチした、以前の建物は利用計画が未定なまま残されている。国立競技場のように簡単に取り壊されないだけでもよかったと思うのは、余計なお世話なのか。

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写真 1、新秋田県立美術館正面 2、藤田嗣治の「秋田の行事」(県立美術館パンフより) 3、同、道路に面した側から撮影 4・5、2階ラウンジから見た旧美術館側の風景 6、ひっそりと残る旧美術館

1394 ああ田沢湖よ 秋田を歩く