小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1377 光の画家フェルメールと帰属作品  西洋美術館の『聖プラクセディス』

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 東京・上野の国立西洋美術館の常設展に「フェルメールに帰属」という作品がことし3月から展示されている。『聖プラクセディス』という、オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632-75)が若き日、イタリアの画家、フェリーチェ・フィルケレッリ(1605-60)の同じ主題の作品を模写した可能性が指摘されている聖女を描いた作品だ。

「光の画家」といわれるフェルメールらしさを示すように、フィルケレッリのものより、明暗がはっきりした作品だ。 フェメールは日本ではかなりの人気があり、これまでの彼の作品展は多くの人でにぎわい、じっくり見ることができなかったことを覚えている。だが、この絵の存在はあまり知られていないらしく、この絵の前に長く立ち止まる人はいなかった。  

 この作品については、西洋美術館がB5版の用紙1枚(表と裏)に2枚の写真とともに解説を記したものを配布している。その解説には「帰属作品」は、1969年に初めてフェルメールへの帰属が提唱され、その後ワシントン・ナショナル・ギャラリーの学芸員フェルメール研究の専門家アーサー・ウィーロックがそれを補強する論文を発表したことで、よく知られるようになったと書かれている。

 その理由としてウィーロックは画面に記された署名と年記を挙げ、それによって23歳の時に描いた作品とする見方ができるというのである。 新聞報道によれば、この絵はアメリカ・プリンストンのバーバラ・ピアセッカ・ジョンソン基金が所蔵していたが、2014年7月、ロンドンのクリスティーズでオークションに出され、手数料込みの624万ポンド(約10億8600万円)で日本人が落札したのだという。

 その後、落札した日本人が西洋美術館に寄託し、ことし3月17日から常設展会場に展示されたのだが、この日本人がどのような人物かは報じられていない。それにしても太っ腹な人のようである。

聖プラクセディス』は、古代ローマ時代の聖人(聖女)が海綿から絞った殉教者の血を華美な器に注いでいる情景が描かれている。2つの作品を見比べると、「帰属」の方は、聖女の手には原画にはない十字架があり、背後の空の青色には極めて高価であるラピスラズリ(方ソーダ石グループの鉱物を主成分とする青金石を主成分とする宝石)が使われているという。  

 オークションの際の科学調査では、鉛白(白色の顔料)の成分が、フェルメールの別の初期作品で用いられた鉛白の成分と極めて類似していると結論付けられ、この作品がオランダで描かれたものとの見方が強い。  

 西洋美術館が「フェルメールに帰属」としているのは、ウィーロック説に対し、多くの美術史家が疑問を呈しているためだという。解説は反対論も詳細に紹介し、その上で「フェルメールの初期作品に関しては、残存作品が少なく、また修業時代および制作に関する史料が乏しいことから、多くのことがいまだに謎に包まれています」と記している。  

 フェルメールは17世紀にオランダ・ハーグ近くのデルフトという小都市で生まれ、日常生活に題材をとった独特な静かさを持った特徴の30数点しか残さない寡作の画家だった。このため死後は忘れ去られた存在になったが、19世紀のフランスで印象派が台頭するのに合わせるように再評価され、現在では人気の高い画家の一人といえるが、謎の多さも人気の背景にあるのかもしれない。  

 写真 左がフェルメール帰属作品、右がフィルケレッリの作品  

フェルメールに帰属する作品展示の案内  

▽これまでのフェルメールに関するブログ  

中欧の旅(3) フェルメールも見た・ドレスデン国立絵画館にて  

フェルメール展はラッシュ並みの人出 ある日の上野の森  

ああフェルメールよ 残暑の中の絵画展にて