小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

817 花の季節を歩く 街路樹に寄せて

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 過日、近所の遊歩道を犬と散歩していたら、いきなり「クルミの花って、こんなふうに咲くのですね」と声を掛けられた。近くの広場で毎朝近所の人たちがラジオ体操をやっている。その帰りらしい一人の女性だった。この辺にはクルミはないと思いながら、女性が見上げている木に近づく。  

 それはもちろんクルミではなかった。「マロニエですよ」と教えて女性と別れ、家に帰って家族にこの話をすると「何でセイヨウトチノキと言わなかったの」と注意されてしまった。セイヨウトチノキの名前が浮かばずに、フランス語の名前がたまたま出ただけだが、言葉は難しいものだと思う。  

 ヨーロッパでは、マロニエはかなり街路樹として利用されているようだ。日本でもセイヨウトチノキの名前で街路樹になっているが、日本に昔から生息しているトチノキとは同じ仲間とは言え別品種だ。トチノキの実は粉にして餅になり「栃餅」と呼ばれるが、「マロニエ餅」は聞いたことがない。  

 このように、日本では植物の名前を和名と外国名で呼ぶことが結構あることに気付いた。たとえばこれから北海道が開花の季節となるライラックは、和名は「ムラサキハシドイ(紫丁香花)」だが、これを知っている人はそう多くはない。ライラックはイギリス名で、フランスではリラと呼ぶという。この名前も聞いたことがある人は多いはずだ。  

 北海道では「リラ冷え」という言葉がある。札幌では毎年5月下旬(ことしは25日から29日まで)に大通公園で「ライラック祭」が開催される。このころ、ライラックが満開になるのだが、季節的には暖かいはずなのに、急に冷え込むことがある。オホーツク海から張り出した高気圧から冷たい空気が流れ込むためだ。北海道生活経験者は、リラ冷えと聞いてあの冷え込みを思い出すはずだ。何しろ寒いのだから。 画像画像

「リラ冷え」という言葉を初めて使ったのは北海道出身の榛谷(はんがい)美枝子さんという俳人で、1960年に「リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて」という句を発表している。この11年後、同じく北海道出身の作家・渡辺淳一さんが「リラ冷えの街」という小説を発表して「リラ冷え」という言葉が一般化したのだという。  

 もう一本の街路樹のことを書く。「プラタナス」のことだ。東京の霞が関の官庁街や日比谷公園にはこの木の大木があり見慣れた街路樹だ。宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の中で、この木のことをこう書いている。

「空気は澄みきって、まるで水のやうに通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢(なら)の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電球がついて、ほんたうにそこらは人魚の都のやうに見えるのでした」。賢治が使った「プラタヌス」はドイツ語であり、「プラタナス」」の語源はギリシャ語の「広い」で、大きな葉の意味なのだそうだ。  

 この木のことを鈴のような丸い実をつけることから、「スズカケノキ」という和名が付いた。世界四大街路樹は「プラタナス、ニレ、菩提樹マロニエ」だそうだが、このうち日本で一番多いのはプラタナスではないかと思う。猛烈に仕事が忙しかったころ、毎朝この木を見上げ、立ち止ったあと職場に通った。「しっかりしろよ」と大木から激励されているように思い、力が湧いたのだ。  

 ところで、遊歩道のマロニエの花は終わってしまった。しかし、その近くにあるエゴノキクスノキの小さな花が鈴なり状態で咲いている。その下を子どもたちがのんびりと歩いている。原発事故を少しの間、忘れてしまう光景だ。 画像 (写真は順にエゴノキと子ども、エゴノキの花、クスノキの花、遊歩道で散歩を楽しむ人たち)