小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

791 永遠に緑の真珠であれ 燃える気仙沼・大島

 今度の地震で私がかつて住んだことがある「東北」が甚大な被害を受けた。20代後半には仙台で生活をした。家族は杜の都といわれる仙台が気に入り、いつかまた住んでみたいと繰り返した。津波で被害を受けた地名が出るたびに思い出が断ち切られそうで、悔しくてしようがない。新聞に「燃える孤立の島」と出ていた気仙沼市の大島の様子も気にかかる。

  この島には、民宿を営みながら短歌をつくっている知人が住んでいる。何度か家族でお邪魔し、小舟に乗って海に連れて行ってもらい、ウニを腹いっぱい食べたことがある。それまでウニは、食べず嫌いで口に入れたことはなかった。だが、ここで取れるウニは新鮮でおいしく、食べず嫌いは返上した。穏やかな表情をした知人は、島の生活を短歌に書き続けていた。

  その民宿は海のすぐ近くにあり、ツイッターに投稿された情報や新聞報道によると、海沿いの地区は壊滅したというから、知人と家族、周辺の人たちは避難できたのだろうか。島にあるタンクから流出した油が燃え、大規模な火災になり、住民約2000人が孤立状態になっているというのだ。気仙沼市自体が津波で壊滅状態になっているので、島への救援の手は届いていないのかもしれない。

 「海はいのちのみなもと 波はいのちのかがやき 大島よ 永遠に緑の真珠であれ」と気仙沼出身の詩人・童話作家の水上不二が詠った。「いのちの源の海と、いのちの輝きの波」が地震という地殻変動によって、太平洋岸の街と住民を襲った。

  1978年の宮城県沖地震直後、現地に入った。つぶれたビルなど、仙台周辺の惨状が目に焼き付いているが、今回の津波によってがれきになった海辺の街の姿は、当時とは比較にならない。被災した人たちは、これから長い復興への闘いを続けなければならない。だが、いつの日にか、大好きな大島が輝く緑の島に戻ると信じたい。