小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

913 2011年の旅模様 「辛苦了」の1年

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 東日本大震災という歴史的災害に見舞われた2011年も残すところ1週間になった。人それぞれこの年について思いはあるだろう。私は実に20回の旅をし、その半分近くが被災地訪問だった。漢字一文字で表現すれば、私にとっての2011年は「辛」という字が当てはまる。中国語でも「大変だったね」や「お疲れさま」のことを「辛苦了」(シンクーラ)と書く。被災者にとっても今年は「辛苦了」の年だったと思う。以下は、ことし私が訪れた地域と短い感想。

  ▼1月=北海道(夕張、札幌)財政破たんの夕張は豪雪に埋まっていた。後の選挙で若さあふれる人物が市長に選ばれた。苦難を乗り越え、明るい春がこの街にやってくるのだろうかと思う。

  ▼2月=滋賀(大津、高島)琵琶湖の広さはどうだ。「琵琶湖周航の歌」を口ずさみながら、ガラガラの電車に乗り続ける。

 福岡(大宰府、福岡)大宰府天満宮と歴史の街である。受験シーズン真っただ中、神頼みの人が多いから、天満宮はにぎわう。

  ▼3月=栃木(栃木)県名と同じなのに県庁所在地でないのは、栃木と山梨県山梨市のみという。静かな街に刑務所があることを知った。1週間後に大震災がやってくるとは、このころは(4日)夢にも思わない。

  ▼4月=岩手(花巻、釜石、大槌、山田、宮古、盛岡)被災地の惨状に立ち尽くす。自然の前に人間はちっぽけな存在なのだ。両親を津波で亡くしたコミュニティ放送関係者の気丈さに言葉を飲み込む。

  栃木(栃木)自動車工場から特殊車両が被災地に向かう。震災直後、ガソリン不足がパニックを呼んだ。車社会の脆弱さを露呈した。

  ▼5月=福島(福島)宮城(仙台、名取)仙台と名取の被災地は土木機械が入り込んで埃が舞っている。原発事故の福島は深刻さが増すばかりだ。

  福島(川俣)全村避難の飯舘村から移動した小学校が入る中学校。子どもたちの表情は硬い。当然のことだ。

  ▼6月=宮城(仙台、南三陸気仙沼・大島)4回目の被災地回り。気仙沼の街は異臭が漂っている。大島の知人は津波で家が破壊されたが、高台に逃れて無事だったことを知る。

  ▼7月=福島(矢祭)山と川のある美しい町にも、原発事故の避難者はやってきた。

  大阪(大阪)静岡(御前崎浜岡原発は稼働停止になったが…。

  北海道(函館、八雲、札幌)北海道の自然が私を包み込む。八雲の森林ボランティア代表は東京出身の元朝日新聞政治部記者だった。

  ▼8月=宮城(仙台、石巻)七夕直前の街には鎮魂の思いがあふれていた。

  福島(伊達)茨城(つくば)福島最北の伊達。ここも原発ホットスポット地帯である。

  ▼9月=北欧(デンマークノルウェースウェーデン社会福祉の先進国。日本はこの3国に追いつくことができるのか。

  ▼10月=愛知(名古屋)・三重(鳥羽)目の前に静かな海が広がる。しかしこの海の先に景観が一変した三陸がある。

  北海道(函館、江差、札幌)車で函館から江差へと向かう途中、紅葉に包まれた山間の道を走る。他の車の姿はほとんどない。過酷な現実を一瞬忘れる。ここも日本なのだ。

  ▼11月=宮城(白石、石巻)福島(会津若松、昭和)被災地はすぐに冬。粘り強く活動するボランティアに出会う。

  ▼12月=大分(大分)福岡(福岡)大分は「学問のすすめ」の福沢諭吉が生まれ、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎が亡くなった地である。大分市の中心部には滝廉太郎の記念碑もある。2人ほどは知られていないが、詩人の江口榛一は1956年(昭和31)に「地の塩の箱」という運動を始めた。金に困った人はここから自由に持って行ってもかまわないという「夢の募金箱」運動だった。しかしこの運動は挫折してしまう。

  時を経て江口のボランティア精神は、東日本大震災で多くの人たちに受け継がれた。