小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

525 遥かなりラオス(6) 輝く瞳の子どもたち

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ラオスの子どもたちの輝く瞳を見ていると、希望や夢への思いを感じます」「ラオスのこどもたちはかわいい。帰ったら日本の子どもたちの顔をよく見てみたい」。ラオス山岳地帯へ同行した2人の先生が、ラオスの子どもたちに接した感想をこのように話してくれた。ラオスを初めて訪問し、小学校のいくつかに行き、子どもたちの姿を見て、同様の思いを抱いた。

 子どもには、純真さや素直さという表現が一番合う。もちろん、日本の子どもにもそれは当てはまる。しかし、瞳の輝きという点では、ラオスの子どもたちの方が勝っていた。26日、バナナ園の奥にあるイルンという小学校に行った。バナナ園の中にある道は泥んこで、約10分、体を揺らしながら四駆に乗った。小さな川を渡ると、右側にきれいに整地された校庭とその奥の校舎が見えてきた。

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 車が近付くと、子どもたちが校門の中の両側に並んで、聞きなれたAEFAの歌を歌っている。その数約60人。私たちが車を降りて、校門に近寄ると、ブーケを持った子どもたちが近寄ってくる。ラオス語のありがとうである「コプチャイ」やこんにちはの「サバーイディー」とあいさつしながら花束を受け取る。

 その子どもたちの表情は、文字通りかわいい。地区の人たちもお土産のバナナやココナツを持って集まってきた。そのお土産でノンちゃんの車の荷台は瞬く間にいっぱいになってしまった。 「この学校をつくるために、この地区の人たちは一生懸命協力しました。だから、学校は一番大事だと思っているはずです。この学校を建てるために寄付をしてくれた日本の人は、ここを訪問した時、雰囲気のよさに涙を流していました」。谷川さんはこう話す。

 そんな雰囲気のある学校の子どもたちだけではなく、これまで訪れた学校の子どもたちに共通するのは「美しい目」だ。日本の子どもたちとどう違うのか。よく分からないというのが正直なところだ。それでも考えてみる。思い当たるのは、情報化社会の日本とそうではないラオスの違いではないかということだ。ラオスには時間がたっぷりあるが、情報化社会の日本人は時間に追われ、あくせくと暮らしている。「自然との会話力の違い」と表現した先生もいるが、それが2つの国の子どもの表情の違いに表れているのではないだろうか。

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 テレビ、インターネット、ゲーム。さらに、学校以外の塾をはじめとする習い事もあって、日本の子どもたちは忙しい。余裕がなく、精一杯生きているのが現代の日本の子どもたちだ。そうした社会を私たちはつくってきたのである。

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 ビエンチャン郊外の学校の休み時間、子どもたちは校庭にある大きな木に登って楽しんでいた。子供のころ、秋になると柿の木に登ったことを思い出した。

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 忙しい日本の子どもたちと、自然の中で暮らすラオスの子どもたちのどちらが幸せなのか。9月に訪れたスペインでは、小学生たちの登下校に親が付き添っていた。それほど世界の子どもたちの環境は、様々だ。でも、子どもたちから輝く瞳を奪ってはならない。それが大人の責任だと思う。(続)

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