小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

522 遥かなりラオス(3) 山岳地帯へ・その3

画像

 室生犀星は小景異情という詩で「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と書いている。故郷とは、遠くにいて思い出すものである、という意味だ。ラオスの山岳地帯に入ってきて、ここに住む人たちは、故郷を離れて遠い都会で暮らすことができるのだろうかと思った。この悪路を経て若者はどの程度町へと出ていくのだろうか。そんな思いよりも、現実の厳しさが目の前にあった。

 道路に横たわる直径は50センチ以上ありそうな大木をどう乗り越えるかだ。ノンちゃんのすごさがここでも発揮された。この倒木を一気に乗り越えていこうと、車を発進させたのだ。「躊躇(ちゅうちょ)」という言葉はノンちゃんの辞書にはないのかもしれない。前輪はうまく乗り越えた。しかし、後輪が倒木に達する前に、車体の腹が木に当たり、進めなくなった。そんな時に威力を発揮したのが自動巻き取りの牽引ワイヤーロープだ。

画像

 宍戸校長先生らとNGOの青年たちが夕闇の中で懐中電灯を使って、ワイヤーを止める木の幹を探した。前方左斜面に格好の幹があり、そこにワイヤーを止める。エンジンをかけるノンちゃん車。倒木を引きずりながら数メートル進む。「頑張れ」と、私と金子さんが声を掛ける。すると、それが聞こえたかのように、ノンちゃん車は倒木を乗り越えたのだ。ここでも拍手が起きたのは言うまでもない。後続の車もそのあと、この難所を越えたのだった。

画像

 全行程の3分の2が過ぎ、夜の闇がやってきた。小さな電気のない集落を過ぎる。もう大丈夫と思った。次第に目的地の「タオイ地区」が近付いてきているはずだ。しばらくして、長い下り坂がライトに照らし出された。そこが最後の第4の難所となった。深い溝が約50メートも続いている。ここでも、道路工事とワイヤー作戦が展開され、第3の難所と同様、30分を要して車は無事脱出したのだった。

 難所を越えたノンちゃんは、運転席で「へーい」という奇声を時々出した。その声が私たちを元気づけてくれた。彼女は私の何倍も疲れているはずだ。なのに、元気そのものなのだ。それが私にはうれしくて仕方がなかった。 「タオイ」に近づき、小さな川を渡る。

 ノンちゃんは車のスピードを緩めた。川の茂みの奥に光るものがあった。そこは蛍の名所だった。時期外れであり、数匹しかいなかったが、そのあたたかな光が疲れた心にやさしく染みた。子どものころふるさとで見た蛍の乱舞を思い出した。この周辺に住む人々も、蛍を楽しむのだろうかと考えながら、川を過ぎると、夜の闇がまたやってきた。

画像

 かすかな光の点が大きくなり、集落に入り、NGOの拠点である「タオイ地区センター」に到着した。腕時計を見ると午後9時55分になっている。サラワンを出て間もなく10時間。長くて、きつくて、それでいて人間の力のすごさを味わい続けた時間がようやく終わった。ここが宿舎だった。 雨が降り始め、近くを流れる大きな川の水かさが増して、流れの音も大きい。

 遅い夕食が出た。米粉で作ったうどんだ。汁もいい味をしており、みんなが「おいしい」と言いながらごちそうになった。疲れているはずのノンちゃんも食事づくりを手伝ったらしい。彼女に感謝をしながら、眠りにつこうとしたが、興奮で寝付かれない。隣では、ラオスのベテラン、谷川さんがいびきをかき始めている。ラオスの夜は、私をおいてきぼりにして更けていく。(続)

 

 ▼次回(4)はこちらから

画像