小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

540 遥かなりラオス・総集編

 ことし9月に訪れたラオスのことは、これまで8回にわたって、ブログで紹介した。以下はその総集編です。 その国の文化のレベルを表す指標として「識字率」がある。国民のうち読み書きができる人の割合だ。ユネスコの統計によれば日本は99・8%で、世界でも トップクラスにある。一方、アジアの各国の中で低いのはブータン、ネパールで、ラオス(男77%、女61%)=2001年=も低い方にランクされる。

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 とりわけ少数山岳民族が住む地域では学校が少ないため、その割合は40%程度まで下がるとみられる。日本のNPOアジア教育友好協会(AEFA)がラオスベトナムで展開している学校づくりは、そうした教育を受ける機会がない地域の子どもたちに手を差し伸べることが目的だ。ラオスの学校づくりの現場はどう なっているのだろうか。ラオスの学校と交流している学校の先生たちに同行して、その現場を歩いた。

 AEFAがラオスで学校づくりを始めたのは、2005年からだ。建設地は首都ビエンチャンアの郊外から南部のサラワン県を中心とする辺境へと拡大、ラオス でAEFAのパートナーとして学校建設に協力しているNGO「VFI」の地区センターがある山岳部の「タオイ」周辺もその対象になった。今回の旅ではタオ イの地区センターに行く前に、まずビエンチャン郊外のカムサムバド小学校を訪問した。

 この後、夜行バスで11時間かけてビエンチャンから南部の都市パクセまで移動した。パクセからさらにサラワン県へと足を踏み入れた。同県に08年に新設さ れたナトゥール小学校では、交流校である福島県・東舘小の宍戸校長がラオス語にした東舘小の校歌をギターの弾き語りで子どもたちに披露した。さ らに、ラオス語で日本の絵本を読んで聞かせた。AEFAの谷川理事長の提案で、東舘小の校歌をナ小児贈ったのだ。子どもたちはこの間、宍戸校長の一挙手 一投足にキラキラと輝く瞳を向けていた。

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 ナトゥールでの心温まる光景を見た後、山岳地帯のタオイ地区へと向かった。だが、9月という時期はラオスではまだ雨季にあたり、サラワンからタオイへの山岳道路は 「泥の道」と化していた。ラオスには「雨季には山へ行くな」という言葉があるというが、雨季に山へと入ったのだからまさに前途は多難だった。 約80キロの道をVFIの中心メンバーであるノンさんらの2台の四輪駆動車で進んだ。

 途中、ぬかるみに入り込んで、数ヵ所で立 ち往生しなければならず、乾季なら3時間の道のりを10時間もかかってしまった。(復路も同様だった) 当初の計画ではタオイを拠点にさらに数10キロ山に入った小学校まで足を伸ばすことにしていた。ここは校舎のほかに遠隔地の子どもを受け入れる寮や教師宿 舎もあり、地区の人々の協力で学校菜園や養鶏、養豚などの農業統合プロジェクトも進んでいるモデル校なのだという。しかし、雨季にそこまで足を伸ばすのは 無理だった。

 ノンちゃんの判断でパチュドン小へ行くのは断念せざるを得なかった。タオイの集落や教師宅などを訪問し、わずか1日半の滞在で私たちは山を降 りることにした。 途中や降りてからいくつかの学校を見た。学校がほしいという住民集会ものぞいた。そのうちの一つであるサラワン県のイルン小学校は2007年に建設され た。バナナ園の中の細い泥の道を通ってイルン小に行くと、土曜日にかかわらず子どもたちが校庭に並んで歓迎してくれた。

 純真そのものの表情をした子どもた ちからブーケを渡され、私はぐっときてしまった。校庭には子どもたちだけでなく、大勢の地区の大人も集まっており、学校が地区にとっていかに大事なもので あるかを示していた。

 地区の人々はVFIを通じてAEFAにアプローチし、学校建設を要望した。私たちが地区に行くと、集会場でもある寺の中に多くの住民が集まり、谷川理事長 に学校を作ってほしいと訴えた。予定地を見た谷川さんは住民の熱意を感じたようだ。寺に戻って「私のポケットにはいまお金はないので、これから集めたい」 と話すと、住民から大きな拍手が起きた。

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 ラオスで現地NGOや住民、子どもたちに接し、学校がいかに必要かを理解できた。VFIのノンさんという女性と行動をともにし、彼女の行動力のすごさに舌 を巻き、かつNGOの在り方を見直した。彼女が2005年に「ノーベル平和賞に女性1000人を」のプロジェクトにノミネートされていたことを帰国してか ら知った。今回の旅は濃密で、新鮮な驚きを体験した日々だった。

 それは私の人生でひときわ心に残る8日間だったといえる。 帰国後1カ月を経て、宍戸さんは、ラオスの子どもたちの輝く瞳について「「ラオスには物がない。しかし子どもたちはさまざまな工夫をして、人や自然に働きかけている。それに対する反応がある。働きかける喜び、楽しさ、人の役に立つ存在感があって、輝く瞳につながるのではないか」という、考察結果を知らせてくれた。逆に言えば、日本を含めた先進国の子どもたちは、豊かさゆえにそうした環境にはない。どちらが幸せなのだろうか。答えは難しい。

 

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