小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

529 「遥かなりラオス」(8)番外編 こみ上げる去りがたい思い ラオス・タイ国境で

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 旅情という言葉の意味は「旅でのしみじみとした思い」(広辞苑)だという。忙しい旅を続けていると、そんな時間はあまりない。9月。ラオスの旅の最終日に予定のスケジュールが終わって陸路国境を越えタイへと入り、飛行場のあるウボン・ラチャターニまで向かった。

 車窓からラオスとタイの景色の変化を見ながら、ラオスを去るのが寂しいような思いがこみ上げ、ラオスでの日々を反芻した。 ウボン・ラチャターニに向かうには、ワンタオという町でラオス国境を抜ける。ここで車を降りて、税関でパスポートを提示してスタンプをもらい出国するが、係員はいくばくかのカネ(手数料らしい)を要求した。この後、歩いてタイ側のチョンメックという町に入り、税関の建物に入ってパスポートに入国のスタンプを押してもらう。

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 建物を出ると、そこはもうタイで、土産物屋がズラリと並んでいる。 双方の国の国境地帯とも稲穂の波が広がっている。収穫の季節は間近い。ラオス側の住宅は高床式で、竹でつくった粗末な家が目に付くが、タイに入るとそうした家は姿を消し、コンクリートの家が多くなった。それまで通過したラオスの幹線道路の両わきは、赤い土がむき出しになっており、草も生えていない。水はけが悪いのか、放し飼いの牛や山羊などが食べてしまうのか、その理由は不明だ。

 一方、タイでは道路が舗装され、その両わきには青々と雑草が生えている。 ウボン・ラチャターニに近づき、スコールに見舞われた。遠くは晴れているのに、車には容赦なく激しい雨粒がたたきつける。ラオスの村でもスコールに出会った。オートバイの後ろに乗って約30分泥の道を走り、小学校をつくってほしいという地区の学校に到着した。その学校は校庭の端の方に高床式の小さな建物が3棟あった。これだけではとても足りないので、新しい校舎をつくってほしいという話だった。

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 この学校はいつくかの村の子どもたちが通うため、住民たちは建設場所をどこにするかでなかなか意見が合わない。そんな話の最中にスコールがあり、雨音は建物の屋根にぶつかって、にぎやかだ。外を見ると、校庭の真ん中にある国旗(校旗?)を1人の少年がずぶぬれになりながら降ろしている。彼は優等生なのか、当番なのか。国旗(校旗)はそれほどに大事なものなのだと信じているのだろう。

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 さて、タイのスコールは間もなく終わり、ウボン・ラチャターニに入ると、車の数が多くなった。渋滞というほどではないが、道路は一時のろのろ状態になる。幹線道路を左に折れ、空港に着いた。サラワンからパクセを通り、約4時間半。国境を越えてからちょうど2時間だ。この間、運転手は100キロのスピードで飛ばし続けていた。

 旅を続けていると、旅の仲間や旅先で出会った人たちが忘れがたくなることがある。ラオスの旅では南部へ同行した4人はこの2009年に出会った日本人でもっとも大事な人たちに入る。同時にラオスのノンちゃんをはじめとする人たちも、同じように2009年の私の歴史を飾る人たちだ。

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 中でもこれからのラオスの将来を担う3人の若者たち。泥の道と闘いながら、ノンちゃんの「笑顔でいなさい」という言葉を信じて、鍬を振い続けた彼らの優しくてたくましい顔は脳裏に焼き付いている。それは折に触れ、これからの私の大きな活力源になるだろう。

 

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