小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

473 弦楽セレナードの街 折に触れて聴くチャイコフスキー

 

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 CDで聴くのは圧倒的にモーツアルトだ。基本的に外れがなく、心がどんな状態のときにも合うだけの曲がそろっている。でも最近はなぜか、チャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード ハ長調、作品48」を聴くことが多い。

 CDの解説によると、チャイコフスキーの作品中「もっとも幸福感にあふれている楽曲」なのだそうだ。(もちろん、彼の生まれたロシアが原風景なのだが)チャイコフスキーは「モーツァルトへのオマージュ(敬意)」としこの作品を作曲したと、書き残している。

 この弦楽セレナードに私が惹かれたのは、もう20数年前のことだ。題名は忘れた。たしか、無名の女優がスロバキアを訪れ、街を歩いて出会った人々と交流するNHKの番組があった。「映像詩」と名づけられ、その美しいスロバキアの映像風景にあわせて、流れていたのがこの曲だった。テレビでは、この曲について詳しい説明はなかった。

 チャイコフスキーの曲と分かったのは、クラシックに詳しい後輩とこの番組を話題にしてお茶を飲んでいたときだった。「映像もよかったが、終始流されていた音楽がよかったね」と私。「ああ、チャイコフスキーの弦楽セレナードですね。スロバキアの自然にピッタリでしたね」と後輩。この会話で疑問が解消した。

 解説には「殊のほか陽の光に満ちている。全曲を通して、幸福感のなかに平和で静謐なひびきがこだましているようだ」とある。 その解説通り「この曲を聴いているとささくれだった気持ちが落ち着くね」と、後輩と私の意見は一致した。 昨年9月、スロバキアの首都、ブラスチラヴァに行く機会があった。

 あの映像詩を思い出しながら小雨の中の首都を歩いた。中欧の小さな独立国は、特別休日で人影も少なく、寂しい限りだった。ブラスチラヴァの街を見下ろす城や旧市庁舎ミハエル門周辺にはマロニエの実が落ち始め、秋の到来を告げていた。 それにしても、印象の薄い都市だった。

 この国の人口は約540万人。兵庫県(09年の推計、560万人)より、やや少ない。ブラスチラヴァは国全体の人口の1割に満たない42万人の街だ。真昼なのに、歩いている人はほとんどいない。経済的に「中欧」では一番GDPも低く、隣のハンガリーにあるスズキ自動車の工場に、かなりの人たちが働きに出ているそうだ。

 この旅は、ドイツ、チェコスロバキアハンガリーオーストリアという、日本の旅行社が「中欧」と名づける5つの国を回るものだった。心に残る旅だった。だが、スロバキアだけが印象に薄くて「中欧の旅」と題して8回連載した昨年9月のブログには登場しない。書く材料が少なかったからだ。

 それから、10カ月。きょうは何気なくチャイコフスキーの弦楽セレナードを聴いている。梅雨の日々、心にかびがはえそうだ。小さなスピーカーから懐かしいメロディが流れる。すると、マロニエの実を拾いながら歩いた小雨のブラスチラヴァの街並が脳裏に蘇ってきたのだ。

 垢抜けしないが、ときどき足を止めてしまう何かがある街だった。 この街にチャイコフスキーが足を踏み入れたかどうかは分からない。しかし、記録によればベートーベンやリストは足跡を残している。

 いぶし銀のような、すぐには気付かないよさがあるこの街で、彼らは何を思い、暮らしたのだろうか。 ここまで、書いていると、弦楽セレナードはもう最終楽章の4楽章に入っている。私の心は、幸福感で満たされている。家族にささやかながら、いいことがあった。それがたぶんに影響しているのかもしれない。

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(写真、街で見かけた芸術作品と城から見たドナウ川