小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1352 春に聴くクラシック チャイコフスキーの弦楽セレナード

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 そう多くないクラシックCDの中で、なぜかチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード ハ長調、作品48」を3枚(古い順から①ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団②ジャン・フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラ)―を持っている。

 3枚ともかなり以前に購入したものだが、春になるとなぜかこの曲を聴く機会が多くなる。この曲を聴くと、私は以前訪れたスロバキアの街を思い浮かべるのである。 音楽評論家の黒田恭一は(1938~2009)は「素敵な音楽をきき、いい曲だな、と思ったら、その曲の作曲者の名前と作品番号をメモする。その時からその音楽との付き合いの歴史が始まる」(講談社現代新書『はじめてのクラシック』)と書いている。

 私の場合、チャイコフスキーのこの曲は、NHKテレビの「映像詩」の番組に使われたのを聴いたのが、CDを購入するきっかけだった。テレビでは、この曲の紹介はなかったが、同じ番組を見た音楽通の後輩から、チャイコフスキーの曲であることを教えられた。

 ネヴィル・マリナー版のCD解説には「この曲はチャイコフスキーの作品の中で、最も幸福感にあふれ、陽の光に満ちている」(三浦淳史)とあるが、後輩もそのように説明してくれた。

「映像詩」は、一人の女優がスロバキアを訪れ、町の人々と交流するもので、美しいスロバキアの田園風景に合わせてこの曲が流れていた。以来、スロバキアにひそかな憧憬を抱き続けた。 スロバキアを訪れたのは、この曲に出会ってから25年くらいあとの2008年9月のことである。

 当時の国全体の人口が兵庫県(553万人)より少ない540万人で、首都ブラスチラヴァでも42万人程度と聞いた。雨の休日で街に人影は少なく、公園ではマロニエの実が落ち始めていて、秋の気配が漂っていた。あの「映像詩」の世界とは印象がかなり違っていた。

 かつて連邦を形成していたチェコの首都、プラハは美しい街としてしばしばテレビの旅番組でも登場するが、ブラスチラヴァは目立たない街なのである。それでもマロニエの実を拾いながら歩いた、秋の一日は記憶に鮮明に残っている。 

 それはさておき、小澤の師である斉藤秀雄はチャイコフスキーのこの曲を繰り返し演奏させたといわれ、小澤にとって特別な存在の曲なのだという。小澤は食道がんで倒れ一時休養した。2010年9月に復帰しサイトウ・キネン・オーケストラの指揮を執った際のコンサートで演奏されたのがこの曲の第1楽章だった。

 CDは1992年の録音だが、小澤の師への思いが伝わるような、味わい深い演奏に聴こえる。 もう一枚のCDの指揮者パイヤールは、2013年4月15日に亡くなっている。このCDは「おしゃれな演奏」という印象があり、小澤版とは別の曲のようにも聞こえるくらいなのだ。

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弦楽セレナードの街 折に触れて聴くチャイコフスキー