小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

2046 われ先に国外退避の大使館員 昭和の悪夢アフガンでも

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 米軍の撤退期限が今月末に迫ったアフガニスタンの首都カブールの国際空港付近で自爆テロがあり、70人以上が犠牲になった。現地には日本人やアフガン大使館の現地スタッフ、派遣された自衛隊員が残っている。この事件によって、自衛隊機による退避は予断を許さない状況になっているという。こんな事態の時、現地の大使館はどうしているのかと思って外務省のホームページを見たら、一時閉鎖したとある。何のことはない、大使以下日本人大使館員は全員既に国外に脱出していたのだ。

 外務省のHPには「在アフガニスタン日本国大使館は、現地の治安状況の急速な悪化を受けて、8月15日をもって一時閉館し、トルコのイスタンブールに臨時事務所を設置して当座の業務を継続しています。アフガニスタンに残っていた大使館の館員12名は、本17日、友好国の軍用機によりカブール国際空港から出国し、アラブ首長国連邦のドバイに退避しました。(以下略)」と出ている。新聞には小さな扱いでの外務省が17日に発表した記事が載っていた。それによれば、在アフガニスタン日本大使館の日本人大使館員12人が国外退避のために乗った友好国の軍用機が、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに到着した。大使館は一時閉鎖し、トルコのイスタンブールに臨時事務所を置き、業務を続ける」というものだ。この在アフガン大使館の退避に対する論評はどこの新聞にもない。

 大使館の役割の第一は、邦人保護である。であるのに、そうした重要な役割を放棄して岡田隆大使以下日本人大使館員全員がいなくなってしまったのだ。現地はイスラム原理組織タリバンによってカブールが制圧され、米軍の撤退も迫っているから危険な状況にあることは言うまでもない。在アフガンの邦人数については、安全上の理由から公表されていない(日本大百科全書には、2007年12月当時164人という数字が載っている)。いずれにしても退避した大使館員を上回る人たちが現地には残っているだろうし、退避を希望するアフガン人の大使館スタッフもいるはずだ。そうした背景を考えると、いち早い大使館員の退避には首をかしげざるを得ない。外交官としての矜持はどこに行ってしまったのだろう。

 太平洋戦争のミッドウェー海戦で米軍に敗れ、空母「飛龍」が沈没する際、飛龍とともに運命をともにした山口多聞第2航空戦隊司令官、加来止男艦長の例に待つまでもなく、船とともに海へと沈んだ船長・艦長は少なくない。そんな強い責任感を大使に求める時代ではなくなっているのだろうか。

 今回の在アフガン大使館の退避劇を見て、太平洋戦争当時のルソン戦線(フィリピン)から勝手に台湾に退避した第4航空軍の富永恭次という司令官のことを思い出した。司令官がいなくなった後のルソン島では、逃避行を続ける日本兵の大半が死んだ。太平洋戦争末期、ソ連が旧満州中国東北部)に侵攻した際、関東軍は敗走し、軍人の家族らはいち早く列車で避難、しかし開拓民を含む民間人は避難が遅れ、多くの犠牲者が出、残された子どもは中国残留孤児となったことも忘れてはならない。

 外務省といえば、命のビザの杉原千畝のことを思う人は多いだろう。第2次大戦下のリトアニアの在カウナス日本国総領事館で、領事の杉原は日本の同盟国でもあったナチス・ドイツの迫害のためポーランドなどヨーロッパ各地から逃れてきた難民たちの窮状を見て1940年(昭和15年)7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給した。ほとんどがユダヤ人の避難民(約6000人)であり、杉原は第2次大戦の誇るべき人物として歴史に残っている。これこそが、今は聞かれなくなったヒューマニズムの精神ではないか。それがもう、外務省から失われてしまっているようだ。今の日本の菅首相を見たら、だれもが秩序を忘れてしまうのかもしれない。

 この3つの歴史を見るまでもなく、緊急事態の時には上に立つ者の人格・力量がはっきりする。コロナ禍も緊急事態に違いない。皆様、政治家たちの行動を冷静な目で見てみようではないか。くれぐれも見飽きないで……。

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 追記 政府の発表によると、27日アフガニスタンからの退避を希望する邦人1人(現地で事業を営みながら共同通信カブール通信員を務める安井浩美さん)を首都カブールの国際空港で自衛隊機に搭乗させ、隣国パキスタンへ輸送したという。自衛隊機の国外退避任務による初の退避。現地に派遣していた自衛隊輸送機と政府専用機計4機は周辺国で待機させる方針という。ただ、28日には空港を警備する米軍が撤退作業を本格化させるため、現地日本大使館国際協力機構(JICA)の現地スタッフ、その家族ら計500人の退避は困難とみられとのことだ。また、出国を希望しないごく少数の邦人が、アフガンに残っているという。(8月28日)

 外務省の発表によると、在アフガニスタン日本大使館国際協力機構(JICA)の現地スタッフとその家族ら53人が10月8日夜、日本に到着した。53人は日本政府の要請を受けてカタール政府が手配した民間機でアフガンを出国した。空路でのアフガン人退避は自衛隊機の現地撤収後は初めて。アフガンではタリバンが8月中旬に実権を掌握、日本政府は同月下旬、航空自衛隊の輸送機を派遣し、現地スタッフらの救出を試みたものの、日本関係では在留邦人1人の出国にとどまっていた。(10月10日)

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 写真 千葉県館山市船形山大福寺の朱色の観音堂(船形の船形山中腹にあり、十一面観世音菩薩を収めている)