小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1221 南米の旅―ハチドリ紀行(10)完 アマゾンに伝わる言い伝えから

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 この南米の旅のブログのサブタイトルである「ハチドリ紀行」は、南米に住むハチドリという鳥にちなんで付けたことは1回目に書いた。私がハチドリという言葉を知ったのは、いまから4年前のある会合だった。この時、アフリカのスーダンで医療活動をしている川原尚行さん(48)は「ハチドリのひとしずく」というアマゾンに伝わる言い伝えを引用しながら、「自分ができることを自分なりにやればいいと思う」という自身のボランティアとしての考え方を話したのである。

 その後東日本大震災が発生し、多くのボランティアが被災地に入り、献身的な活動をしたが、私はそうしたボランティアの姿に川原さんを重ね合わせていた。そして、今回。ハチドリが生息する南米に足を踏み入れ、あらためて川原さんの話を反芻しながら各地を歩いた。

《「森が燃えていました。森の生きものたちはわれ先にと逃げていきました。でも、クリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり。口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物たちがそれを見て、そんなことをしていったい何になるんだ、といって笑います。クリキンディはこう答えました。私は、私にできることをしているだけ」(辻信一訳・ハチドリのひとしずく~いま、私にできること・光文社刊より)》

 (再掲) 川原さんは北九州市出身の医師である。2002年、アフリカのスーダン日本大使館に医務官として赴任、在留邦人の診察を担当した。スーダンは、長年続いた内戦によって国民は貧困に苦しみ、問題が山積している。特に医療問題は深刻だった。現地の子どもたちがマラリアコレラで次々に亡くなっていくのに、外務省の医務官である川原さんは手が出せない。それにいら立った川原さんは3年後、外務省をやめスーダンの人たちに医療の手を差し伸べようと、ロシナンテスというNPOを設立した。

 ロシナンテスは、スペインのセルバンテスの名作「ドン・キホーテ」に出てくるドン・キホーテの相棒であるやせ馬のロシナンテを複数形にしたものだ。「一人ひとりはロシナンテのように無力かもしれないが、しかしロシナンテが集まり、ロシナンテスになれば、きっと何かできるはずと考えた」と、NPOのホームページに由来が記されている。

 たった一人でスーダンという最貧国で医療活動を始めた川原さんの活動資金は、主将だった福岡県立小倉高校(北九州市)のラグビー部の後輩らの募金や九州大学OBの寄付、帰国した際の講演謝礼などだという。川原さんは「批判からは何も生まれない。いかにして現地で何ができるか考えやっていきたい」とも話していた。まず、実践ありきの精神が川原さんの中に流れているのだろう。

 川原さんと同じように、ハチドリのひとしずくの精神を実践している知人がペルーに隣接するチリに住んでいる。南米の日系の若者たちのネットワーク形成と社会事業家(起業)の支援を行う日系ユースネットワークを運営している打村明さん(33)だ。 コスタリカ生まれで父親が日本人(外交官)、母親がチリ人だ。

 父親の仕事の関係で南米各国で生活をしたあと、来日。国際基督教大学(ICU)を卒業、日本で日系ユースの立ち上げに携わり、東日本大震災の被災地でボランティア活動もした。東京MXテレビの番組のコメンテーターも務めたことがあり、2012年からはチリに移り住んでいる。

 打村さんは、南米各地で暮らした経験から「各地域で抱える問題が共通しているのに、個別に解決を図ろうとしている。若い人たちのネットワークがあったら、協力して解決することができたのにと考えていた」と言い、現在の仕事はまさにそれを実践するものだ。 具体的には1、「Hana.bi」という日系リーダーや日本とのつながりの強い人々(日系人)のグループブログサイトの運営。2、「Samuraidea.com」という不特定多数の人がインターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行う「クラウドファンディングサイト」の立ち上げ準備。3、「SamuraiHUB」という日系人起業家ネットワークをするサイトの計画―を中心に活動している。

 ピースボートで世界4周をしたこともある国際人の打村さんはチリについて、「南米の中でも経済は比較的豊かで、唯一時間を守る国。南米の日本と思っています」と話してくれたことがある。チリは工業国で、輸出依存の経済も日本と共通している。 しかし、チリについて日本のメディアではあまり取り上げられない。三陸地方に大きな被害を出した1960年のチリ地震津波以外では、2010年に発生したコピアポという鉱山の落盤事故で33人の作業員が700メートルの地下に閉じ込められ、69日後に救出されたニュースは大きな扱いだったが、そのほかはあまり記憶がない。

 チリに戻った打村さんはチリだけなく南米と日本の架け橋として活動を続けている。距離的には遠くても、日系人としてのアイデンティティーから南米と日本の関係がより緊密になること願っているからだ。 図鑑によると、ハチドリは鳥類の中で最も体が小さいグループに属し、体重は2-20グラム、キューバに生息するマメハチドリは世界最小、最軽量の鳥(全長6センチ、体重2グラム弱)といわれる。こんな小さな鳥が、森が火事になったらひとしずくの水をかけようと働く―という言い伝えは、この鳥が人々にいかに愛されていることを示すものだ。

 そして、川原さんや打村さんらはハチドリのように、一人の力は小さくとも、それが広がれば大きな力になることを信じて、遠い海の向こうで活動しているのである。 写真 1、 ペルーの海に沈む夕日 2、 ハトが建物を隠してしまうほど多いリマのサンフランシスコ協会 3、 パラグアイのチバと呼ばれるチーズ入りパン、マテ茶を飲みながら食べるそうだ 4、 中南米の山並み 5、 ペルー・ナスカ近くの太平洋。遠い先に日本がある

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これまでの連載はこちらから

1、南米の旅―ハチドリ紀行(1) 4万キロ、10回の飛行機乗り継ぎ

2、南米の旅―ハチドリ紀行(2) 大いなる水イグアスの滝

3、南米の旅―ハチドリ紀行(3) 悪魔ののど笛にて・ささやきにおびえる

4、南米の旅―ハチドリ紀行(4) パラグアイ移民として50年

5、南米の旅―ハチドリ紀行(5) 天空の城を蝶が飛ぶ

6、南米の旅―ハチドリ紀行(6) あれがナスカの地上絵?

7、南米の旅―ハチドリ紀行(7) 都市の風景=歴史のたたずまいに触れる

8、南米の旅―ハチドリ紀行(8) 胸を突かれた言葉

9、南米の旅―ハチドリ紀行(9) 自然の宝庫・蝶の話