小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

310 8月(2) ダモイ(収容所から来た遺書)・3人芝居

画像
8月は鎮魂の月である。祖先から伝わる死者の霊(精霊)を供養する盆が間もなくやってくる。広島、長崎を含めた太平洋戦争で犠牲になった310万人の霊を慰める季節でもあるのだ。 シベリアに抑留され、命を落とした6万人に対しても敬虔な気持ちを抱く。新宿の紀伊国屋ホールで7月30日からきょう8月3日まで5日間限定の公演「ダモイ~収容所から来た遺書~」を見た。 辺見じゅんの原作を舞台化したものだ。ふたくちつよしが作・演出し、3年前に初演した。今回が3回目の公演だ。6月28日の私のブログ「人間の尊厳を問うシベリア抑留」でも記している通り、シベリア抑留中に死んだ島根県出身の山本幡男さんの「遺書」を抑留仲間が遺族に届けようとする物語だ。 物語と書いたが、フィクションではなく昭和という時代に過酷な運命にほんろうされた個性豊かな男の実話なのである。 この悲しくも、美しい魂の物語を演じたのは、平田満、新納敏正、荒谷清水の3人だ。新納のナレーションが入った映像と3人の芝居が絶妙だ。平田が演じる山本さんは、苦しい環境にあっても「ダモイ」(帰国)を待ちわびながら、明日への希望を失わない。彼に引きずられるように、新納、荒谷もいい味を出している。 3人の芝居、さりげない演出はやや単調と思えるが、それは涙なくして見られない感動的なラストシーンへの伏線なのである。 平田の台詞がいい。「美しい言葉(日本語)を忘れないようにしたい」「(収容所の生活に)慣れてしまわないようにと思っている」。極限状況の中で、多くの日本人に希望を与えた山本さんは、日本に帰国することなくシベリアの土になった。 山本さんの日本や家族への思いを書いた4通の遺書は、仲間たちが暗記して、日本の家族に届ける。 ラストシーンで荒谷と新納が交互に山本さんの遺書を語る。それは涙なくしては見てはいられなかった。子供たちへの遺書は「未来を見据えていた」(演出のふたくちさん)といえよう。 -また君たちはどんな辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでもまじめな、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んでくれ。最後に勝つのは道義であり、誠であり、まごころである。友だちと交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面においてもこの言葉を忘れてはならぬ。 人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。強い能力のある人間になれ。自分を鍛えて行け。精神も肉体も鍛えて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。4人の子どもたちよ、団結し、協力せよ。自分の才能に自惚れてはいけない。 学と真理の道においては、徹頭徹尾敬虔でなければならぬ。立身出世など、どうでもよい。自分で自分を偉くすれば、君たちが博士や大臣を求めなくとも、博士や大臣の方が君らの方にやってくることは必定だ。要は自己完成!最後に勝つものは道義だぞ。- 千秋楽の舞台で、平田は言葉少なくあいさつし、観客席にいた山本さんの長男と次男を紹介した。平田ら3人は舞台の延長なのか、緊張したままの顔で何度も頭を下げた。涙をふいて外に出る。熱風が襲ってきた。日曜の午後。新宿の街は熱風の中でも、多くの人でにぎわっている。