小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1978 寒い朝に…… 『四季・冬』を聴きながら

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 2月は1年で一番寒い季節だといわれる。朝6時前、まだ暗い中を散歩に出る。東の空に三日月が浮かんでいる。北風が顔に吹き付けてくる。吉田正が作曲した『寒い朝』という歌のメロディーが頭に浮かぶ。昭和の代表的作曲家(流行歌)といえば、吉田、古賀政男古関裕而だろうか。古賀と吉田は死去後国民栄誉賞を受賞(古関は遺族が辞退)している。吉田はシベリアに抑留されたつらい体験を持ち、自身の作曲した多くの歌の中で『寒い朝』が特に好きだったそうだ。

 この歌は吉田と多くの曲でコンビを組んだ佐伯孝夫が作詞(歌=吉永小百合和田弘とマヒナスターズ)した。「北風吹き抜く寒い朝も 心ひとつで暖かくなる……」という歌い出しの冬の歌だ。吉田は生涯で約2400曲を作曲している。シベリア抑留をイメージした名曲『異国の丘』は別格として、『寒い朝』はシベリアの死と向き合う極寒の日々、日本へ帰りたいという希望を持ち続けたことを思い出させるのだという(『二木紘三のうた物語』より)。 

 吉田は1942(昭和17)年に召集、旧満州中国東北部)で終戦を迎えソ連軍によってシベリアに抑留され、1948(23)年8月、舞鶴に復員した。その後の活躍はここで書くまでもない。   

 私は2月生まれだ。しかも寒い北国育ち。札幌で暮らしたこともあるから、寒さには強いはずだった。しかし、いつしか温暖な千葉仕様の体になっていて、今朝の寒さはこたえた。実は昨日の朝も同様に寒かった。昨日は朝6時半のラジオ体操の時に、霰(あられ)が舞っていた。雪国の人から見たら、霰なんてといわれるかもしれない。しかし、私が住む千葉市ではここ数年雪らしい雪は降っていないから、霰でさえ珍しい。そんな寒い朝でも太陽が顔を出すと、まばゆい光が清々しい。立春が過ぎ、確実に一日一日、光の春と言われる季節に近づいている。  

 ところで『寒い朝』は、「心ひとつで暖かくなる」の後「清らかに咲いた可憐な花を緑の髪にかざして今日も……」と続いている。寒い季節に咲き、髪にかざすことができる清らかな花、とはどんな花なのだろう。冬の花といえばツバキ、梅、スイセンポインセチアシクラメンなどが思い浮かぶが、吉田と佐伯、吉永らはどんな花をイメージしたのだろう。

 私の散歩コースには春の足音をつげるかのように、マンサクも咲き始めている。このブログを書きながらCDでヴィヴァルディの「四季」・「冬」を聴いている。透明感のあるヴァイオリン。北風が吹きまくっていても、春が近いことを予感させる。  

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 写真 1、2は散歩コースの遊歩道わきに咲いたマンサクの花3、夜明け前、東の空に浮かぶ三日月4、数少ないアナログレコードの四季ジャケット(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団・このレコードには楽譜が付いている)  

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