小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1976 かつての長老・翁が老醜に 若者よ奮起して

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「老醜」という言葉があります。「年をとって顔や姿、心が醜くなる」という意味ですね。「老醜をさらす」とも言います。年をとって醜くなった顔や姿、心を人前に出し、恥をかく、ということです。昨今、内外でこの言葉通りの行いをする人たちが目に付きますね。そんな姿を見る度にある短歌を思い出すのです。

 老醜もさらせるわれも少しだけ翁さぶるか木枯らしの日は 前登志夫

 この短歌は俳人長谷川櫂の『四季のうた』(中公文庫)に出ていました。長谷川はこの短歌について、以下のような感想を記しています。

 老人の価値は近代以降、大暴落した。かつては長老、翁(おきな)と尊ばれたのに、今はお荷物と軽んじられる。それを端的に表す言葉が「老醜」。しかし木枯らしが吹けば老醜の身も翁に見えるだろうか。木枯らしの日も旅をつづけた芭蕉のように。

 (松尾芭蕉の記念館は全国に4つ=山形市福島県須賀川市、東京都江東区三重県伊賀市=あります。このうち伊賀市の記念館は芭蕉翁記念館(ばしょうおうきねんかん)という名前です。芭蕉は50歳で亡くなっており、現代では翁という年齢ではありませんが、芭蕉が生きた江戸時代の50歳は老人だったのですね)

 長谷川は「老人の価値は近代以降、大暴落した」と書きましたが、最近はそうでもないようです。日本では80歳を過ぎても政治家をやめない自民党二階俊博幹事長や麻生太郎財務相らもいますし、アメリカのバイデン大統領は78歳です。現在68歳のロシアのプーチン大統領憲法改正で、2036年まで大統領の椅子に座り続けることが可能になりました。あと15年頑張るつもりなのでしょうか。そうそう、女性蔑視発言で「またもやったか」といわれた東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長も83歳です。

 生きている限り、だれもが年輪を重ねます。いい顔の人もいれば、権謀術数に明け暮れた険しい顔もあります。疲れた顔、病気でやつれた顔、さらに元気でも老醜に見える人もいるかもしれません。人の顔は千差万別ですが、やはり高齢者は疲れた顔が多いですね。

 森会長の女性蔑視発言を取り消す記者会見を見ました。老人はキレやすいといわれますが、不機嫌な顔で「皆さんから邪魔だといわれれば老害、粗大ゴミになったのかもしれませんから、掃いてもらえばいいんじゃないですか」と居直っていました。これが、以前この国の首相を務めた人だったのです。失礼ながら、品がないと思いました。老醜と見た人もいるかもしれませんね。

 重ねて言いますが、人はだれでも年老います。それでも「老害」や「老醜」と言われることなく生涯現役を目指す人、社会に貢献する人たちは少なくありません。現代は混沌とした時代が続いています。だからこそ、私は「今こそ若者よ奮起して」と言いたいのです。