小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1946 朝焼けに向かう風見鶏 耳袋を外して音楽を聴く

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 今朝は「朝焼け」が見えました。これは日の出間際の東の空が赤く染まる現象で、夏に多いため俳句では夏の季語になっています。近所の屋根の上の風見鶏が、この空に向かって何かを話しかけているような光景が目の前に広がっていました。少し足を延すと公園の木々の葉が赤や黄となり、芝生の緑とのコントラストに見とれてしまうほどでした。
 
 昨年2月、同じ風見鶏の写真をこのブログに掲載しました。この時頭は北に、尾を南に向けていました。それから1年半。今朝の姿はちょうど逆向きで、頭が南に向いていました。これまで風見鶏の方向を気にしたことはありませんでしたが、ちゃんと風向計としての役割を果たしているようです。風は南向きに吹いているのでしょう。
 
 先日、東京で「木枯らし1号」が吹いたという発表がありました。3年ぶりだそうですから、温暖化の影響で木枯らしも少なくなっているのでしょうか。木を吹き枯らすほどの風ということで、こんなふうに呼ばれているそうですね。もう一つの漢字「凩」は、風の中に木があるという国字(和字=中国伝来ではなく日本で作られた漢字)で、こちらも季節感があります。木枯らしが吹いたことで、近所の木々の葉も美しく色づいたのでしょう。
 
 ところで、このところテレビ、新聞はもっぱらアメリカの大統領選、政府による学術会議委員6人の任命拒否問題を大きなニュースとして扱っています。私はこれらを見ていると、なぜか気持ちが落ち込んでしまうのです。世界も日本も、人々の頭が空っぽになっていっていくように思えてならないからです。
 
 聞きたくも無きこと聞え耳袋 愛知県出身の俳人加古宗也の句です。世の中には聞きたくないこと、聞かなければよかったと思うことが少なくないので、それらを聞こえないようにと耳袋(耳の防寒具)を付けているのでしょうか。そんな時には心の耳袋を外し、音楽を聴いたらどうでしょう。私はこのブログを書きながら、イヴリー・ギトリスのCDを聴いています。耳袋は今のところ無用になりました。
 
 ギトリスはイスラエルのヴァイオリニストです。東日本大震災の翌年の2012年3月11日に岩手陸前高田市の奇跡の一本松を訪れ、巨大津波で流された松材で作られたヴァイオリンでバッハのパルティータ第3番「ガボット」などを演奏した親日家です。ロシア系ユダヤ人として1922年に生れたギトリスは現在98歳。その半生は平穏なものではなかったはずです。100歳近い高齢で音楽活動を続けていると聞くと、畏敬の念を抱きますね。
 
 追記。ギトリスさんは、12月24日、死去しました。98歳でした。ご冥福をお祈りします。12月26日記。
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