小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1962 繰り返す歴史 知恵を絞ろう

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  歴史は繰り返すという。この言葉は、人類が成長していないことを表しているのではないか。コロナ禍のこの1年、世界、日本の動きを見ていると、そう思わざるを得ない。このブログで何回か書いている通り人類はウイルスに襲われ、それを克服した歴史といっていい。だが、今度のコロナは凶暴であり、立ち向かうにはあらゆる知恵を振り絞る必要があると思うのだ。

 21世紀。世界は狭くなった。インターネットで結ばれ、空の世界(航空機)に行けば、地球の裏側まで簡単に行くことができる時代だ。かつて旅行した中で、一番遠い国はアルゼンチンだった。周辺のブラジル、ペルー、パラグアイにも足を延ばした。日本から多くの人たちがこれらの国々に移住し、苦難の時代を送った。そして、この国々も今、コロナ禍に苦しんでいる。

 元日。ラジオ体操を休み、散歩がてら近くの寺まで行った。多くの人がいたなら参拝はやめようと思って、境内に続く階段を上る。ここはだれもいない。境内を見る。数人しかいない。鐘をつくこともできない。何十年もこの寺に来ている。こんな光景は初めてだ。これも、この寺の歴史に刻まれるだろう。
 自宅に帰ると、間もなく年賀状が届いた。届く賀状は減るかと思っていたが、そうではなかった。いつもの懐かしい人の名前を見る。ほとんどがコロナに触れている。この災厄に影響を受け、自粛生活を強いられている。中には「これが最後の賀状です」という断り書きもある。
  私は賀状に「永劫回帰」(永遠回帰と同じ。同じものが永遠に繰り返し生じること。ニーチェ哲学では、目的も意味もない永遠の反復を積極的に引き受けるところに生の絶対的肯定を見る=広辞苑)という言葉を引用した。これに対し、大学で西洋哲学を専攻したという大先輩から「卒論のテーマだった」というメールが来た。この人は、ニーチェのこの思想を心の糧にしてこれまでの人生を歩んできたという。「人に歴史あり」を感じさせるメールだった。
 2021年はどんな年になるのか。コロナは本当に終息に向かうのか。東日本震災から10年、原発事故の福島の苦難は続いている。延期された東京五輪は開催できるのか、総選挙で国民はどんな選択をするのか。大統領が交代するアメリカをはじめとする国際社会の動きは……。「望みを持ちましょう。でも、望みは多すぎてはいけません」(モーツァルトの手紙)という言葉を忘れず、日々を送りたい。
 

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 写真 1、散歩コースの調整池で見た初日の出。2~5、人気のない寺の風景。6、テレビ朝日で生中継されたダイヤモンド富士・逆さ富士。