小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1938 嫌な時代と嫌な奴ら 好学の士いずこ

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 アインシュタイン湯川秀樹はだれでも知っている理論物理学者で、ノーベル賞受賞者だ。米国のプリンストン高等研究所(ニュージャージー州プリンストン)に縁があり、親しい間柄だった。この研究所の創設にかかわり、初代所長になったのがエイブラハム・フレクスナー(1866~1959)である。    

 知名度は低いのだが、この研究所から傑出した研究者を輩出したのはフレクスナーの力量といわれる。彼は「教育研究の現場には精神と知性の自由こそ重要」「人間の精神を型にはめ、翼を広げさせない人々が人類の真の敵」という言葉を残した。  

 人間は、本来考える自由がある。精神も自由だ。だが、型にはめようとするから、時に人は窮屈を覚え、反発する。何者にも縛られない生き方をしようとする映画の寅さん(「男はつらいよ」)のような存在に、限りない憧憬を持つ。嫌な奴が増えてきたのはいつごろか。もうかなり前になるのか……。テレビで政治ニュースを見る度に思う。画面に出てくるほとんどが、嫌な奴なのだ。世界も日本も。  

 かつての倫理や良識、物の考え方は21世紀になって大きく変化したかのようだ。その象徴が世界のリーダーたちの言動だ。私は、これまで「はちゃめちゃ」《(道理や常識からひどく外れているさま。めちゃくちゃ)と、広辞苑に出ている》なんて言葉を使うことはなかった。でも、使いたくなった。この「はちゃめちゃ」たちに、日本も毒されていると思うからだ。  

 日本学術会議の新会員候補の任命を菅義偉首相が拒否した問題。首相は問題になり始めたころ「前政権からの引き継ぎ事項だ。そんなに問題なのか」と周辺に漏らしていたという。そうか、なぜ問題なのか、感覚で分からない首相を日本は持つ時代なのだと思う。学問の分野は広範で深い。それを制限すれば、人類の進歩はない。そのことを考えることができないとすれば、日本は衰退の一歩をたどることになる。  

 冒頭に名前を出したフレクスナーは元高校の教師で、1930年、ニューアークニュージャージー州最大の都市)の実業家ルイス・バンバーガーと妹のフェリックス・フルド夫人の出資で創設され、1933年から活動を開始したプリンストン高等研究所(史学=文学,法律,経済などを含む=と数学=理論物理学を含む=の2部門がある)の初代所長になった。アインシュタインはじめ、天才研究者を集めたことで知られ、ホームページによると、同研究所出身者34人がノーベル賞を、60人が数学のノーベル賞といわれ非凡な数学者に贈られるフィールズ賞を受賞するなど、優秀な研究者を輩出している。フレクスナーは天才たちの才能を開花させる名伯楽的存在だったといえる。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹朝永振一郎、数学の矢野健太郎角谷静夫小平邦彦も同研究所に留学している。  

 3歳上の兄のサイモン・フレクスナー(1863~1946)は病理・細菌学者で、ペンシルベニア大学教授の後、ロックフェラー大学の前身・ロックフェラー研究所の所長を務めた。細菌学者野口英世の恩人として知られる。 フレクスナー兄弟のことを考えていたら、「好学の士」という言葉が頭に浮かんだ。自身が学問の世界に親しみ、困難な研究に取り組む研究者を支援した2人には、この言葉がよく似合う。

論語』の「学而 第一」14に「子曰く 君子は食に飽くるを求むること無く、居(お)るに安きを求むること無し。事に敏に、言に慎み、有道に就(つ)きて正す。学を好むと謂(い)う可(べ)きのみ」があり、加地伸行の『論語』((講談社学術文庫)の現代語訳の中に、「好学の士」が出てくる。 《加地伸行現代語訳=老先生の教え。教養人は腹いっぱいの美食を求めたり、豪華で心地よい邸宅に住みたいなどとは思わない。なすべき仕事はすばやくこなす。しかし、ことばは少なくして出しゃばらない。もし、意見があれば、まず優れた人格者(有道)を訪れ、正していただくようにする。こういう人こそ〈好学の士〉というのだ。》  

 

 関連資料↓  アインシュタイン  エイブラハム・フレクスナー  役に立たないの知識の有用性(エイブラハム・フレクスナー)