1937 花の終りに ある秋雨の日の風景
いつもの年より遅くまで咲いていた彼岸花。街中が異常なほど甘い香りに包まれたキンモクセイ。それも、このところ降り続いた雨と低い気温で終わりの日を迎えた。霧雨の中、遅くまで咲いていると、ニュースでやっていた彼岸花の名所に行く。だが、もう花はなかった。自然の動きは人を待たない。
そこは、1両編成のディーゼル列車(気動車)が1時間に1本あるかないかの単線の鉄道。子どものころ、鉄道といえば、レールが2本しかないと思っていた。長い間、単線という言葉も知らなかった。もちろん、複線も複々線も知らない。駅(停車場)では、先に着いた列車が反対方向から来る列車を待ち、入れ替え(列車交換)をやった。どちらかが遅れると、それだけ発車を待つ時間が長くなる。
そんなことを思い出す、単線の鉄道。両側には田んぼ。とうに刈り取りは終わり、雑草が生えている。その向こうに里山。さらに遠方には雨に煙る低い山。ゴッホなら、この風景をどんなふうに描くだろうかと夢想する。目に映る風景(対象)に向かって自分の感情を込めて絵を描いたというゴッホ。レールも山もすべてがうねりながら、渦巻くようなタッチの絵……。レールの右側には彼岸花が群生し、先日まで咲いていた。それなら、真っ赤な彼岸花を強調した作品にしただろうか。
帰り道、途中休憩した公共施設。その植え込みには「シマトネリコ」という木が植えてあった。別名「タイワンシオジ」といわれるモクセイ科の常緑高木・半常緑高木。南方系で、沖縄を中心に関東以南の庭や公園で最近目立つ木だ。カブトムシが集まるらしい。以前、庭木といえばキンモクセイが王様的存在だった。洋風の建物が増えた現在、シマトネリコに人気を奪われた。
近所に造成された住宅団地。各家の庭に必ずこの木が植えてある。葉が涼しげで、夏の庭に似合うのか。同じモクセイ科でもこちらの花はあまり目立たない。雨後の道にキンモクセイの花が散っていた。シマトネリコに王座を奪われた寂しさが漂っている。とはいえ、俳句でいえば、金木犀、銀木犀(あるいは木犀)は秋の季語。多くの句が作られている。一方でシマトネリコはまだ季語がつかず、この植物の俳句は知らない。
10月は新そばの季節。昼食。風情ある建物のそば屋に入る。そばとうどん、手打ちとある。品数は少なく天ぷらもない。もりとかけのほか、鴨汁(実際には鶏肉だった)くらい。もりとかけはそれぞれ1100円。値段は一流店並み。味は普通。麺の長さは不揃いで、素人風。量は多い。これがこの店の売りなのか。
東京五輪から56年が過ぎた2020年。秋のある一日の個人的風景です。