小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

470 懐かしい北と南の島 礼文島と阿嘉島にて

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 日本の各地を歩いた。中でも思い出に残るのは、北と南の2つの島である。いまが一番の観光シーズンの北海道・礼文島と梅雨が明けた沖縄・阿嘉島だ。もちろん自然の姿は異なる。しかし、いつかはまた訪ねてみたい不思議な魅力があるのだ。  

 北海道に住んだことがあるのに礼文島を訪れたのは、東京に戻ることが決まった2002年の6月だった。札幌から車で稚内まで行き、カーフェリーに乗り、礼文島に向かう。ちょうど、日韓共催サッカーワールドカップが開催中で、カーフェリーに乗っている時間帯に日本チームが予選試合を戦っていた。もうどこが相手かは忘れたが、フェリー中、試合を気にする人でいっぱいだった。たまたま家族が持っていたラジオで試合が生中継されていた。  

 私たちの周りには、ラジオを聞く人垣ができた。日本チームが得点すると拍手が起きた。しばらくして、フェリーのテレビが映るようになり、サッカーを見ようと、その一台に数十人が集まり、選手たちのプレーに一喜一憂した。歓声もあがる。すると、近くにいた気難しそうな中年の男が「うるさい」と怒鳴った。彼はサッカーに興味がないらしく、ざわめきがうっとうしくてしようがないという顔をしている。しばらく静かになるが、やはりまたにぎやかになる。男はさらに大きな声を張り上げて注意する。テレビに見入る人たちは、そんな男の存在が不思議でならないようだ。  

 試合が終わり、みんながそれぞれの場所に戻る。私たちの隣の人たちは、男に聞こえないよう小声で「何であんなに怒るのかなあ。日本チームのことがきにならないのかなあ」などとと話していた。美しい礼文をたん能して、東京に戻っても、フェリーの中の仏頂ずらした男の表情を時々思い出した。彼は礼文島への強い思い入れがあり、サッカーの騒ぎが迷惑だったのかもしれない。  

 沖縄の阿嘉島は、人工飼育のサンゴの産卵をみようと2年前の夏に訪れた。この島は、那覇から高速フェリーで55分の慶良間諸島にある。慶良間諸島終戦直前の沖縄戦で住民たちが(座間味島を中心に)集団自決をした島として知られている。  阿嘉島には民間の阿嘉島臨海研究所があり、サンゴの増殖の研究を進めている。台風の余波で高速フェリーは大揺れだった。体調もよく船酔いはしなかった。保坂三郎理事長が私財を投じて作った研究所は、この島には珍しい鉄筋コンクリート4階建てのしゃれた建物だった。  

 東京水産大(現在の東京海洋大)名誉教授の大森信所長以下、3人の研究者の少数精鋭の研究所だ。研究所に泊まって、保坂理事長や3人の研究者と一夜を語り明かした。サンゴの増殖に命をかける研究者の一途な思いを味わって島を後にした。高速フェリーの最後尾で海を見つめた。フェリーが巻き起こす渦が目に焼きついた。  

 あれから2年が経過する。きょうの新聞の科学欄にはこの研究所で「移植サンゴが産卵」という記事が載っていた。記事を読みながら研究者たちの喜ぶ顔を思い浮かべた。  阿嘉島那覇市から約40キロ離れた4平方キロの小さな島で人口は約350人。島民の多くはダイバーや釣り客用の民宿とダイバー船で生計を営んでいるという。島の中心にある小高い丘に登り、一人で青く澄み切った海を見た朝は、忘れることができない。

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(トップの写真は阿嘉島のサンゴ増殖用のいけす、下の写真は那覇から阿嘉島に向かうフェリーからの風景)