小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1879 5月の風に吹かれて タケノコとイノシシの話

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 世界も日本もコロナ禍によって、大きな打撃を受けている。命が、生活が奪われていく。だが、自然界はこうした人間界とは無縁のようだ。散歩コースでは野ばらやアザミが咲いている。蛇の姿も見かけた。季節は巡り、二十四節気の一つ、立夏(ことしは5月5日)から1週間が過ぎた。さわやかな5月である。

 季節の便りのタケノコが友人から届いたと思ったら、故郷からも送られてきた。旬の味である。山形の友人が送ってきたのは「月山タケノコ」だった。昨年もいただいたので、この味は忘れない。月山(1984m)は山岳信仰で知られる出羽三山(ほかに羽黒山湯殿山)の主峰である。

 このタケノコはその麓で採れるほか北海道から東北の山地に自生しており、根元が湾曲するため根曲がり竹と呼ばれる笹のタケノコだ。アクが少ないうえ、独特の風味と甘みがあり、月山周辺のものは特に味がいいことで人気があるそうだ。

 届いた時、たまたま居合わせた小学4年生の孫娘とさっとゆでたタケノコの皮をはぐのを手伝いながら、味見をしてみた。確かに何もつけないでも甘くてうまい。マヨネーズや味噌をつけてもいい味だ。孫娘も嬉しそうに食べている。  

 同じ日、私の実家のある福島から、孟宗竹のタケノコが届いた。こちらは太めのタケノコで、月山のものとは風味も味も異なる。昔からアク抜きをしなくとも食べられる品質だと記憶している。適度に歯ごたえがあって、私はこのタケノコを食べると、東北にも5月がきたことを実感したものだ。かつては、食べきれないほどのタケノコが出た、この孟宗竹の竹林も次第に活力を失い、近年まではタケノコもあまり出ないと聞いていた。

 ところが兄の話によると、この数年のうちに再び活気が戻り、ことしは昔のようなタケノコが林立する風景を取り戻したそうで、このままでは竹が増えすぎる恐れさえ出てきた。そこへ、野生のイノシシがやってきた。イノシシによる穀類、野菜、果物、キノコなど農産物への被害が続いている。ゴルフ場のコースの芝が掘られたり、ゴルファーや従業員が襲われたり、アジサイ園がイノシシに荒らされるというニュースも絶えない。

 当然のように、イノシシたちは実家の竹林のタケノコも食べ始めた。しかし、その数が多かったためか、かなりの本数を食べ残した。その結果、竹林は程よい状態で竹が成長しつつあるという。私はこの話を聞いて、自然の摂理なようなものを感じた。自然界では様々な生物が弱肉強食を繰り返している。

 だが、強い物でも空腹を満たす場合のみ弱者を食べ、それ以上はしないという生態系の法則が実家の竹林でも生かされたのではないかと考えた。2種類のタケノコを食べた後、本棚から萩原朔太郎の詩集を引っ張り出し、「竹」(『月に吠える』より)という詩を読み返した。5月の風に吹かれて、竹林から葉がそよぐ音が聞こえてくるようだ。  

 光る地面に竹が生え、/青竹が生え、/地下には竹の根が生え、/根がしだいにほそらみ、/根の先より繊毛が生え、/かすかにけぶる繊毛が生え、/かすかにふるへ。  

 かたき地面に竹が生え、/地上にするどく竹が生え、/まつしぐらに竹が生え/、凍れる節節りんりんと、/青ぞれのもとに竹が生え、/竹、竹、竹が生え。

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