小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1880 専門医の厳しい言葉 辛い入院生活を描いた斎藤茂吉

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「犯罪的です」。新型コロナに関するテレビを見ていたら、大相撲の三段目力士、勝武士さん(28)がこの感染症で亡くなったことに関して、専門医はこう話し、さらに「人災です」と強い口調で国の姿勢を批判した。つい最近まで新型コロナに感染しているかどうか、帰国者・接触者相談センターにPCR検査を受けるための相談・目安として「「風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日日以上続く」項目が入っていた。この項目が足かせとなり、なかなかPCR検査が受けられないという状況が続き、勝武士さんの死というニュースに接した専門医は、厚労省に向けて堪忍袋の緒が切れたように強い言葉を発したのだろうと思う。  

 この目安は、2月17日に厚労省から事務連絡という形で都道府県・指定都市 ・中 核 市に出されたもので、現場ではPCR検査を受けさせるべきかどうかの判断材料となったのは言うまでもない。これによって体調不良でも、我慢を強いられた人も少なくないだろう。入院が遅れ、命を失った勝武士さんのケースはまさにこれに該当する。  

 厚労省はこの基準がコロナによる死者増につながるのではないかという批判が強まったため、今月8日にこの項目を削除するという通知を全国に出した。これに関する記者会見で加藤厚労相は「基準ではない。あくまで目安であり、それを国民が誤解していた」と語ったのだ。厚労省の責任回避ともいえる官僚的発言といっていい。  

 加藤厚労相は、記者会見や国会で通知の内容は「基準」ではなく「目安」だったと説明した。辞書を見ると目安とは「判断や行為の基準・よりどころとするもの。目標や基準として設定するもの」のほか「絶対的な規則ではない、おおよその指針」(以上明鏡国語辞典)という意味だ。一方、基準の方は「ものごとの基礎となる標準。比較してかんがえるためのよりどころ」(広辞苑)とある。加藤厚労相は狭義の意味の「おおよその指針」とだけ捉えたのかもしれないが、現場や国民の側は「基準」として受け取ったから、PCR検査の受診数が日本は他の国々に比較して圧倒的に少ないという実態が続いているのだ。  

 報道によると、勝武士さんの場合、糖尿病の基礎疾患があり、4月4~5日に38度以上の熱が続き4日から7日まで病院を探し続けた。しかし、どこからも受け付けてもらえず、8日には血痰が出たため救急車を呼んだが、なかなか病院が見つからず、夜になってようやく大学病院に入院した。簡易の検査では新型コロナは陰性だったが、9日に容態が悪化し別の大学病院に転院、10日にPCR検査で陽性と分かったという。その後19日にさらに症状が悪化し集中治療室(ICU)で治療を受けていたが、5月13日に新型コロナの肺炎による多臓器不全で亡くなった。この経過を報道するBS・TBSのニュース番組(報道1930)の中で、宇都宮市で呼吸器内科の病院を運営している倉持仁医師が冒頭のようなコメントをしたのだ。  

 入院が遅れた背景に厚労省の通知があったことを踏まえ、倉持さんは厚労省の新型コロナ対策が「犯罪的、人災だ」という指摘をしたのだろう。この指摘は、まさに正鵠を射るものだと思う。厚労省が5月8日に出した通知の中には「これは、どのような方にどのような場合に相談・受診いただくのが適切か、その目安を示すことで、必要な方が適切なタイミングで医療を受けられる体制を確保することを目指したものです。運用につきましては、その方の状況をふまえ、柔軟に判断を行って頂きますようお願い致します」という文言がある。「柔軟に判断を」は前回の通知にはなかった言葉で、言い訳のように受け取れる。  

 熱落ちてわれは日ねもす夜もすがら稚な児のごと物を思へり (斎藤茂吉『赤光』分病室より=熱が下がって、私は昼も夜も幼い子どものようにいろいろなことを思っている)   

 歌人精神科医斎藤茂吉東京帝国大学医科大学(現在の東大医学部)の学生時代の1909(明治42)年6月30日腸チフスに罹患、8月末まで入院、さらに11月に再発し年末まで隔離病棟で過ごした。この歌は「分病室」という同年作の5首のうちの1つである。チフス感染のため茂吉の卒業は1年延期となり、卒業したのは1910年12月のことである。茂吉はこの後の1920(大正9)年、長崎医学専門学校(現在の長崎大学医学部)の教授時代に、今度は世界的に大流行したスペイン風邪に感染して長い入院、療養生活を送っている。2度も感染症にかかり、つらい体験をした茂吉は医師として歌人として生と死を見続けたひとりだった。新型コロナで入院し、回復期にある人たちはどんな時間を送っているのだろうか。茂吉の歌のように、様々な思いを胸に抱きながら退院の日を待っているに違いない。  

 写真はエゴノキの白い花   

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