小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1779 桑の実は名物そばよりうまい  自然の活力感じる季節

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 自然を愛好する人にとって、忙しく楽しい季節である。山歩きが趣味の山形の友人からは珍しいタケノコ「ネマガリダケ(月山筍)」が送られてきて、彼の山歩き姿を思い浮かべながら、旬の味を堪能した。自然の活力を最も感じる季節、病と闘いながら旺盛な食欲を発揮し続けた正岡子規の随筆を読み、庭の一隅の桑の実を観察した。もう少しでこの実も熟れ始める。  

 子規の随筆は「桑の実を食いし事」(『ホトトギス』第4巻第7号)という、信州(長野県)旅行の思い出を記した短文だ。要約すると、次のようになる。

「蚕の季節の旅行だったため、桑畑はどこも茂っており、木曽へ入ると山と川との間の狭い地面が皆桑畑だった。桑畑の囲いのところには大きな桑があり、真黒な実がたくさんなっていた。これは見逃す手はないと手に取り食べ始めた。桑の実は世間の人はあまり食べないが、そのうまさはほかに比べるものがないほどいい味をしている。

 食べ出してから一瞬の時もやめず、桑の老木が見えるところに入り込んで貪った。何升食べたか分からないほどで、そんなことがあったため、この日は6里程度しか歩けなかった。寝覚の里(寝覚の床=木曽郡上松)へ行くと、名物のそばを勧められたが、腹いっぱいで食べられなかった。この日は昼飯も食べなかった。木曽の桑の実は寝覚そばよりうまい名物だ」  

 子規の食いしん坊ぶりを彷彿とさせる一文だといえる。私も子どものころ、生家の桑畑で熟した実を食べ、唇や舌を真っ赤にしたことが何度かあるが、子規のようにうまいとは思わなかった。だが、最近それは間違いだったと考え直している。桑は種間交雑が容易のため、味のいい品種がホームセンターでマルベリーという名前で販売され、わが家の庭にも一本植えてある。それが数年前から実をつけ、甘くていい味なのだ。ことしは特に実のつきがよいから、熟れるのが楽しみなのである。  

 漱石門下の作家・児童文学者鈴木三重吉は『桑の実』という小説を書いている。内容は省くが、主人公のお手伝いと洋画家が庭から取ってきた桑の実を食べる場面があり、「よく子供のときには、これを食べると後で舌の見せっこなんかしたものだがな。——舌が黒くなるでせう?」という洋画家の言葉が印象的だ。私も兄と同じようなことをした記憶がかすかにある。  

 その桑畑は学校の帰り道にあり、桑の実は食べ放題だった。この桑畑はいつしかりんごに替わり、いまはりんごの木も消えて町の公園になっている。往時、この場所で桑畑があったことを知る人は少なくなっているはずだ。童謡「赤とんぼ」(山田耕筰作曲、三木露風作詞)の中に「山の畑の 桑の実を小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか」とあるが、まさに私にとって、子どものころの思い出は幻になっている。とはいえ庭にマルベリーがあるから、毎年実が熟れることは、思い出に浸ることができるのだ。  

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写真 1、まだ青い桑の実 2、山形のネマガリダケ(月山筍)