小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1826 ラグビーは小説 サッカーはノンフィクションという比喩

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「たとえていうなら、小説はラグビーで、ノンフィクションはサッカーということになろうか」新聞記者出身の故ノンフィクション作家、本田靖晴は『複眼で見よ』(河出文庫)というジャーナリズム・メディア論をテーマにした本の中で、小説とノンフィクションの違いについてこう表現した。日本で開催されているラグビーのワールドカップで日本チームはベスト8まで勝ち進んだ。これまでの4試合を見ていて、本田が言う「小説はラグビー」という比喩が分かるような気がした。それだけラグビーは、手に汗を握るほど面白い。  

 本田はこんなふうに続ける。「小説家はいくらでも想像力を広げることができるが、ノンフィクション作家は同じ手を使うことができない。ひたすら事実の片々の蒐集に手間と時間をかけ、それを積み上げていく。サッカーは、人間の意のままに動く両手の使用をあえて禁止することにより、わずかな点差を競い合うゲームとなって、ラグビーとは違った緊迫感をもたらす。“手”をしばられたノンフィクションの書き手が目指すのも、不自由を区切り抜けた末のゴールポストである」  

 たしかに、ゴールキーパーを除いて原則両手を使わないサッカーは、ラグビーに比べると荒々しさはなく、静の球技とさえ感じてしまう。ただボールの奪い合いは緊迫感が伴って、それが魅力なのだ。本田に言わせると、一方のラグビーは「想像力を広げることができる球技」なのだろう。タックルやスクラム、ラック、モールといった力感あふれるシステムもあり、トライを目指して突き進もうとするゲームは、まさに物語性の高い球技と言える。それを本田はラグビー=小説に近いと考えたのだ。  

 ポリネシア系諸国の代表は試合前に相手を威嚇して味方の士気を高め、相手に敬意を払うウォークライ(ニュージーランドチームは「ハカ」)という儀式をやっている。今回W杯に出場したニュージーランドサモア(「シバタウ」)、フィジー(「シビ」)、トンガ(「シピ・タウ」)代表の儀式は、ラグビーの物語性を高めてくれた。私は正直W杯で日本チームがここまでやるとは想像していなかった。その予想が外れたことがまた愉快であり、さらに様々な国からやってきた豊かな大臀筋(だいでんきん)を持つ金剛力士のような選手たちによって、私が忘れていたラグビーの壮快さを蘇らせてくれたことも間違いない。