小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1417 セザンヌの少年の絵 秋の日の特別な時間

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 家の前にある遊歩道には、けやきの木が街路樹として植えてある。そのけやきの葉がことしは特に色づいているように見える。いまが紅葉の盛りのようだ。最近訪れた那須高原でも美しい紅葉を見ることができた。それも数十年ぶりの友人との再会という嬉しい出来事まで付いていて、ひときわ思い出深い秋を味わった。

 三浦康子著、かとーゆーこ絵『和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)は、四季折々の日本の伝統行事を文章と絵で分かりやすく紹介していて、大人も子どもも楽しむことができる本だ。多くの人が出かける「紅葉狩り」も秋の項目の中に含まれ、紅葉狩りや紅葉の条件、季語となった「竜田姫」のこと、落ち葉で遊び方などが文章とイラストで描かれている。

 紅葉は落葉樹の冬支度の姿であり、冬に葉を落とすため秋になって気温が下がり出すと葉に栄養分を送ることをストップし、葉緑素がこわれるため黄色い色素が目立ち、残った糖分から赤い色素がつくられると赤く色づく―というのが紅葉のメカニズムである。樹木の葉が色鮮やかになる3つの条件としては「日中の天気がいいこと、昼と夜の寒暖の差があること、適度な雨や水分があること」が挙げられるのだという。

 この秋はこの3つの条件がうまく作用したのだろう。 ことし5月に亡くなった詩人の長田弘さんは『人生の特別な一瞬』(晶文社)という詩集を残した。この中にセザンヌの絵「赤いチョッキを着た少年」のことを書いた、同じ題名の詩がある。  

《一人の少年を覚えている。紅顔の少年。部屋の一隅で、少年は椅子にすわって、黄いろい背当ての付いた  

 真っ赤なチョッキを着て、左腕を左の頬に宛て、白いシャツに通した右腕は静かに膝に乗せて、掌をやわらかく 握っていた。(中略)   

 初めて、その赤いチョッキの少年を知ったときから、いつのまにか、おどろくほどの時間が過ぎた。けれども、 いまでも、少年のすがたは、何一つ変わらない。

 紅顔、清潔な耳、赤いチョッキ、白いシャツ。静かな部屋。そのとき、その少年が、そこにいた。そうして、いま  も、少年は、そのときのまま、そこにいる。   

 どこに?初めて、少年の姿を認めた。その場所に。一冊のセザンヌ画集のなかに。  セザンヌの絵「赤いチョッキを着た少年」を初めてみたのは、少年の日、古い木造校舎の小さな図書室でだった。   

 その絵のなかの少年を見ると、「少年老いやすく」と言った古人は間違っていたと、いつも思う。   

 たとえ時代が移り、何もかも変わっていても、少年は老いない。わたしのなかの少年も。》

 那須で再会した友人の姿は、赤いチョッキを着た少年とは違い、変わっていた。友人から見れば私も同様に変わって見えたに違いない。私たちは朱子朱熹)の「少年老いやすく」という言葉を受け入れざるを得なかった。 だが、話しているうちに遠い過去が蘇り、目の前の友人と私が少年時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。それは、人生の特別な時間だった。

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