小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1523 読書家の生きた証 本を愛して

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 9月末に亡くなった先輩は読書家だった。同時に、渥美清主演の映画「男はつらいよ」をこよなく愛した人情家だった。 弔問に訪れると、2つの部屋にはおびただしい蔵書が置かれ、在りし日の先輩の写真が机の上に飾られていた。ほぼ日本文学に特化した蔵書は、夏目漱石をはじめとする様々な全集や、純文学作品を中心にした単行本で占められ、本棚に入りきらない本は畳のうえに積み上げられていた。

 それは、読書家としての先輩の生きた証のように、私には思えた。 奥さんから「好きな本があったら、どうぞ持って行ってください」といわれ、何冊かいただいた。その中に大岡信の『現代の詩人たち』(上下、青土社)がある。いずれも大岡のサインが入っている。

 たまたまだが、先日友人の高橋郁男さんから『詩のオデュッセイア  ギルガメシュからディランまで、時に磨かれた古今東西の詩句・四千年の旅』という著書が届いた。 大岡は日本の近現代の代表的詩人を取り上げ、人物や詩について解説を加えている。

 そのトップバッターは石川啄木である。高橋さんの本は、紀元前の古代メソポタミアから現代までの内外の詩人をリストアップし、自在にその特徴を浮かび上がらせている。もちろん、啄木もその一人である。

 高橋さんの本には、啄木の臨終に立ち会ったのは、家族のほか酒と旅の歌人若山牧水だったことが記されている。

 ヘルマン・ヘッセの『ヘッセの読書術』(草思社文庫)に「本を読むことと所有すること」という短いエッセーがある。

「よい読者は本の愛好家である」とヘッセはいい、「一冊の本を心を込めて手に取り、愛することのできる人は、できるならば本を自分のものにして、くりかえし読み、所蔵して、いつも身近な手の届くところに置きたいと思うからである」と付け加えている。

 先輩はまさに、よい読者であり、愛好家だったといえるだろう。本棚の本を手に取ると、多くの本に著者のサインが入っている。もちろん、初刷りばかりである。先輩はこうした蔵書に囲まれ、好きな本を読んで暮らしていたそうだ。 その中に、私がいただいた大岡の本も混じっていた。本の頁をめくると、「気張らず、楽しみながら読んでみたら」という声が聞こえてきそうな錯覚を覚えた。読まずに積んでおくという本も少なくない私は、本の愛好家とはいえない。少しはよい読者になるために、2冊の詩の本に親しみ、読書の秋を過ごしたい。