小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1952 自分の言葉・色で語りかける絵画 晩鐘からマスクまで

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「詩人が何にもましてひどく苦しめられている欠陥物で、この世の屑ともいうべきものは、言葉である。ときおり詩人は、言葉を――というよりはむしろ、この粗末な道具を用いて仕事をするように生まれついた自分自身を本当に憎み、非難し、呪うことがある。羨望の思いで詩人は、画家や音楽家のことを考える。画家は自分の言葉である色で、北極からアフリカまでの人間すべてが等しく理解できるように語りかけることができるし、音楽家もまた同じように、その音ですべての人間の言葉を語り、あやつることができる」

 詩人で作家のヘルマン・ヘッセは「言葉」(『ヘッセの読書術』草思社文庫)というエッセーで、芸術家についてこんなふうに書いている。この言葉を思い出しながら、近くにあったジャン・フランソワ・ミレー(1814~1875)の画集を開いてみた。バルビゾン派の画家で農民の姿を描いた「晩鐘」「落穂ひろい」が代表作だ。陳腐で退屈などという声も聞く一方で、農村を舞台にした絵が郷愁を感じさせるのか、日本人に人気のある画家のひとりだ。  

 このうち「晩鐘」は、夕暮れに畑仕事をやめて祈りを捧げている農夫と妻と思われる男女2人の姿を描いた作品で、地平線が高い位置にあるのが特徴。絵を見て、もちろん鐘の音は聞こえない。しかし、祈っている2人の姿から、教会の鐘の音が聞こえてくるように思えるのは、絵の力といえるだろう。ミレーの支援者だったアルフレ・サンシェは、この絵を初めて見た時「これは晩鐘だ」と叫び、ミレーは「そうだ、その通り。2人は神の命じる通り、鐘の音を聞いている」と答えたというエピソードが残っている。

 ミレーはもともと肖像画家として出発、農民を題材にした作品は後半生にパリ南東約60キロの小村、バルビゾンに移り住んでから描いた。ミレーが家族と一緒にこの村に移住したのはフランスの「2月革命」(1848年2月22日から24日にかけて、パリを中心とする民衆運動と議会内の反対派の運動によって、ルイ・フィリップ王政が倒れ、共和政が成立した革命)と、その後のコレラの大流行から逃れるためという背景があったといわれる。そんなミレーはヘッセが言うように、自分の好きな黄昏時の色調を使って人種が違っても等しく理解できる作品を描いたのだ。  

 新型コロナによって私たちの生活も大きく変わり、マスク姿が普通になった。ミレーの時代には考えられなかった光景だ。そんな2020年、マスク姿の人々を描いた美術作品が登場し、美術家の横尾忠則さんはマスク姿の連作アートをネットで公開したというニュースを見た。美術作品に取り入れられたマスク姿は、自分の言葉である色で、コロナ禍に生きる現代の状況を後世に伝えようとする試みといっていいのかもしれない。それにしても、「晩鐘」の2人がマスクをしていたらパロディになってしまうのは言うまでもない。  

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 (参考資料と写真。飯田昌平編著『ミレー名作100選』日本テレビ放送網=などより)