小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1416 夜長の季節の本の読み方 あなたは寝過ぎ派、寝不足派?

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 読まぬ男は夜長哉

 正岡子規の句である。秋の夜長、本を読まない男は寝過ぎ、読む男は寝不足になるというのである。テレビやスマホなど、いまの時代は本を読まなくとも夜更かしになる材料は事欠かず、寝不足派が圧倒的に多いのではないか。 ヘルマン・ヘッセは「本を読むことと所有すること」(『ヘッセの読書術』草思社文庫)という短いエッセーの中で「よい読者は誰でも本の愛好者である」と書いている。忙しい現代日本、本の愛好者は減りつつあるようだ。

 ヘッセは本の愛好者について「一冊の本を心を込めて手に取り、愛することのできる人は、できるならば本を自分のものにして、くりかえし読み、所蔵して、いつも身近な手の届くところに置きたいと思うからである」と述べ、さらに「一冊の本を読むということは、よい読者にとっては、ひとりの未知の人間の性格と考え方を知って理解しようと努め、できたら彼(筆者注、あるいは彼女)と友達になるということである」と付け加えている。

 本が売れないという言葉をよく聞く。「本が売れないのは図書館の貸し出しのせいと大手出版社や作家らが発売から一定期間、新刊本の貸し出しをやめるよう求める動きが出ている」というニュースが、つい先日流れた。出版界は2000年代に入って不況が続いている。芥川賞を受賞したお笑い芸人、又吉直樹の『火花』は200万部を超え、ノーベル賞受賞が期待される村上春樹の作品も発売の度ベストセラーとなる。これらは例外で、出版不況は深刻だ。

 その理由の一つとして挙げられるのが公立図書館の増加とサービスの拡充なのだという。例えば私の家近くの市立図書館には数多くの本があり、市立図書館全体がネットワークで結ばれているため、必要な本は予約すればほぼ借りることができる。だから、「本は借りるもので買うものではない」という意識を持つ人が増えているといえるのかもしれない。

 これに対し、ヘッセは「一冊の本を借りて、通読して返却するのは簡単なことである。たいていの場合、読んだ内容は、家から本がなくなってしまうのとほとんど同じくらい早く忘れられてしまう」と、借りて読む人を皮肉っている。そして本は買って読むことを勧めるのである。

「一冊の本に何らかの点で魅了され、その本の著者を知り、理解しはじめ、その著者と内心のつながりをもった人は、そのときはじめてその本から本当の影響を受けはじめる。そのため、その人はその本を手放して忘れてしまうことはなく、その本を手もとに置いて、つまり買い取って必要に応じてくりかえし読み、その本とともに生きることになる」

 本との接し方は人それぞれであり、ヘッセの言い分には反論もあるだろう。場所を取らない電子書籍も普及しつつある。だが、私はヘッセの考えに同調する。ただ、昼に本を読むから、どちらかといえば寝過ぎ派に属するだろう。

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写真 深まる秋。遊歩道のけやきも色づいてきた

1387 200万部売れた本 芥川賞は「又吉現象」