小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1792 新聞記者とは 映画と本から考える

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 かつて新聞記者は若者の憧れの職業の一つだった。だが、最近そうした話は聞かない。背景にはインターネットの発達や若者の活字離れなどがあり、新聞自体が難しい時代に直面していることを示している結果なのだろう。そんな時、『新聞記者』という題名に惹かれて、一本の映画を見た。つい最近まで、新聞紙上をにぎわした森友学園加計学園疑惑を彷彿させるような事件が描かれていた。映画を見た後、私は本棚からメディアに関する数冊の本を取り出し、頁をめくった。
 
 映画は女性記者、吉岡(シム・ウンギョン)が勤める新聞社の社会部に、政権の大学新設計画に対する極秘情報がFAXで届き、デスクの指示を受けた女性記者が取材を始めるところから始まる。秘密情報を追う女性記者と、内調(内閣情報調査室)に勤務し、マスコミをコントロールする業務に疑問を抱く若手官僚、杉原(松坂桃李)の仕事に対する葛藤を軸に展開する。映画にはパソコン画面を通じて鼎談番組(映画の原作『新聞記者』の著者である東京新聞望月衣塑子記者、元文部科学省事務次官前川喜平氏、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏、司会は新聞労連委員長・南彰氏)の動画が出てきて、それがこの映画のドキュメント的要素を強くしている。
 
 政府の機密を暴こうとして、調査報道に懸命に取り組む記者(吉岡)、先輩官僚の自殺によってその自殺に不審を抱き始め吉岡と接点を持つ杉原の動きはサスペンス的要素が濃く、普段は映画の途中で居眠りをする私も吉岡を応援する思いで画面に見入った。最終段階で2人は協力して官僚の自殺の背景に大学新設に名を借りた「危険な陰謀」があることを突き止め、吉岡の調査報道は一面トップの特ダネとなる。この記事に当然だが政権側が反論する。
 
 吉岡は第二弾を用意しようとするのだが、苦難の闘いが続くことを暗示させることで映画は終わる。それは意外性がある結末だった。吉岡を演じたシム・ウンギョンの、ひたむきさを感じさせる演技が光るのだが、女性記者の元気のなさ、ネットに頼る姿が気になった。もう一つ、巨悪(政権)の存在があいまいな印象を受けた。ただ、内調の不気味な活動と閉塞した現代社会の実情が漂っていて、終始緊張感を持ちながら映画を見続けたことを記しておきたい。
 
「見えざる敵に怯え、目の前にある問題を見て見ぬふりをすれば、相手の思うつぼだ」望月記者は『新聞記者』の中でこんなことを書いている。巨悪に立ち向かう記者の心構えである。映画の吉岡の取材活動はこの言葉を体現したもので、望月記者だけでなく、政権の監視役たる政治部記者たちこそ日々それを実践してほしいと思うのだ。
 
 映画館から帰宅後、本棚から望月記者の本のほかたまたま目に付いた数冊の本を取り出した。後藤正治『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』(講談社)、斎藤茂男『記者志願』(築地書館)、読売新聞大阪社会部『誘拐報道』(新潮社)、共同通信社社会部『共同通信社会部』(共同通信社)、小田橋弘之『記者は死んだか!』(晩聲社)などである。
 
 本田靖春(1933~2004)は、以前のブログに書いたように、黄金時代の読売新聞社会部記者として売血防止キャンペーンの報道に取り組んだ後、当時の社主正力松太郎に反発してフリーとなり、ノンフィクションの名著といわれる『誘拐』(ちくま文庫)や『不当逮捕』(講談社)を書いた作家である。その反骨ぶりは、後藤の本の中でも随所に描かれている。本田より3年早く記者生活をスタートした斎藤茂男(1928~1999)は本田と違い、共同通信で記者生活を全うした。斎藤が在籍した時代の共同通信社会部は自由闊達な環境にあり、とても居心地がよかったという。
 
 斎藤は警察による謀略事件「菅生事件」取材メンバーとして警察による陰謀を暴き、その後連載記事に取り組む。「父よ母よ」「妻たちの思秋期」「生命かがやく日のために」といった連載記事は、斎藤の名を世に知らしめることになる。斎藤は『記者志願』の中で「もし生まれ変わったら、新聞記者の仕事を選ぶのではないか」と書いている。「この30何年、この仕事をやってきて、ただの一度も『記者なんかになるんじゃなかった。オレには向いていない』などと、チラッと思ったこともない。いつも、そのときどきにこの仕事が面白かった。いまでも面白い。まだまだきっと面白いことがあるぞ、また新しいことを取材して書いてみたい、と正直にそう思っているのである」
 
 読売大阪社会部と共同通信社会部の本にも取材活動が楽しくてしようがないという記者たちの生態が活写されている。そうした時代は過去の物語なのだろうか。現代の新聞記者たちは過去の記者たちと比較すると、極めて微妙な立ち位置にいる。『記者は死んだか!』で共同通信時代の先輩記者、小田橋弘之(1936~1994)は、こんなことを書いている。「私の場合、日本を俯瞰する視座が沖縄である。その沖縄で右に左に揺れる自分の座標軸を再点検し、自分なりの軸をキチンと固めたい、という思いが強いということであろう」
 
 この言葉の意味を現代の記者たちに考えてほしいと思うのだ。
 
 写真 赤い花は「サンタンカ」、白い花は「サガリバナ」。いま沖縄は美しい花が咲く季節です(沖縄・首里にて)
 
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