小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1605 遠くなった無冠の帝王 『デスク日記』の原さんの死

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「無冠の帝王」という言葉がある。「(地位はないが強い力のある者、または権力に屈しない者の意で)新聞記者。ジャーナリスト」(広辞苑)という意味だった。「だった」と過去形で書くのは、昨今の記者たちが権力に屈してしまっている印象が強く、「無冠の帝王」とは縁遠い存在になりつつあると感じているからだ。6日に92歳で亡くなった共同通信社元編集主幹の原寿雄さんの現役時代、この言葉は生きていた。  

 原さんは、社会部のデスク時代、小和田次郎というペンネームで『デスク日記』(みすず叢書)を書いている。1960年代のマスコミの舞台裏をつづったこの本を読むと、当時の報道機関の記者たちの実態が浮かび上がる。自由に物を言い、議論も活発だった。

 報道機関にあって、デスクの存在は大きい。デスクと言うのは、部長を補佐し、実際に第一線の記者たちの取材指揮に当たり、記者たちが書いた記事の最終責任を負うから、その責任は重く、激務である。だから「無冠の帝王」というのは、デスクを指すといっても過言ではない。  

 以前、原さんが所属した共同通信社が『共同通信社会部』という本を出版(1992年刊)した。その中には、通信社の社会部デスクの役割が紹介されていた。要約すると、以下の通りである。  

 《社会部の記者集団(部長以下96人)を動かしているのが13人のデスク陣である。デスクは部のけん引車であり、現場の苦労を生かすも殺すもデスクの判断、器量に負うところが大きい。記者歴は20年前後だ。社会部の特徴はこのデスク陣に「関門デスク制」を採り入れている点だ。1週間を前半と後半に分け、それぞれ1人の関門デスクが取材、出稿、問い合わせの応対などに責任を負い、さばいていく。

 デスクは関門のほか、午前10時から午後2時までの「夕刊デスク」、午後2時から午前1時すぎの朝刊締め切りまでの「朝刊デスク」、午後6時から翌朝午前10時までの「泊まりデスク」、さらに関東管内の11支局からの原稿を専門に見る「上りデスク」があり、交代でシフトをこなしている。デスクはシフト以外に、事件、司法、国際、教育、厚生、皇室、環境・科学など37もの担務を分担し、担当記者とその分野の面倒をみている。》 

 上述のように、デスクの仕事は多忙である。そんな中で、原さんは社会部デスクとして社会部だけでなく編集局全体の動きを見つめながら、日記を書き続けた。それが、マスコミを目指す学生のバイブル的存在となった。現在の報道機関にあっても、デスクは重要な存在に変わりはないと思われる。

 国際NGO国境なき記者団発表の報道の自由度ランキング2017年版で、日本は調査対象180カ国中72番目であり、主要7カ国(G7)中最下位だった。「無冠の帝王」のリーダーであるデスクたちの力量、姿勢が問われているといえる。  

 冒頭に「昨今の記者たちが権力に屈してしまっている印象が強く、『無冠の帝王』とは縁遠い存在になりつつあると感じている」と書いた。これは書き過ぎだった。菅官房長官の記者会見で、森友・加計問題に関し、執拗に質問を続けることで知られるようになった東京新聞社会部記者がいたことを失念していた。望月衣塑子記者である。

 望月記者の『新聞記者』(角川新書)を読んだ。その中には、彼女の「私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材相手にあたる。記者として持ち続けてきたテーマは変わらない」という記者活動の基本姿勢が書かれていた。これこそが新聞記者の原点なのだ。その原点の思いを生かし、伸ばしてやるのもデスクの役割ではないかと思われる。

 東京新聞には、肝の据わったデスクが存在するのだろう。

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