小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1323 マスコミの役割いずこへ 2冊のジャーナリズム論を読む

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 最近の日本のマスコミ界は、何となくおかしい。時の政府を監視するという一番大事な役割を投げ捨て、政権にすり寄っている新聞、テレビが目についてしまう。マスコミ界から「へそ曲がり」がいなくなってしまったのか。そんなことはないはずだ……。こんなことに思い患っている昨今、マスコミについて語る2冊の本を読んだ。

 昔の本と新刊本である。 1冊目は、坂田二郎著『ペンは剣よりも』(サイマル出版会、1983年)である。坂田は、連合、同盟、共同と続いた通信社記者(外信部や社会部)を経て、長くNHKの解説委員を務めた言論人で、この本は坂田の自叙伝である。

 昭和の激動期を通信社の記者として追い続けた坂田は、自身の記者活動を総括し「ペン(言論)は剣(武力)に屈してはならない」と述べている。 坂田は通信社記者とNHK解説委員として50年にわたって、昭和という時代を見つめ続けた。書くジャーナリストと、話すジャーナリストについてのジャーナリスト論が面白い。少し長いが引用する。

《「書くこと」は何よりも文章の問題であるが、書いた文章は活字化され、新聞、雑誌、単行本などのマスメディアを媒体として読者の目に訴える。その場合、読者は希望するままに何回でも読み返せるという利点を持っている。ぼくの『ニュース解説』を例にとるならば、聴取者がうっかり聞きのがすケースは毎度のことだし、聴き取りにくいとか、早口過ぎるなどの苦情も絶えない。 耳に痛いのは、発音になまり(坂田はハワイで生まれ青森で育った)があるという指摘だ。

 しかし、これらは枝葉末節の問題であって、『書く』新聞と『話す』放送というマスメディアは違っても、そこの要求されるジャーナリズムの基本的条件は文章そのものにほかなるまい。文章はいくら美辞麗句を並べても、それが達意の表現力と理路整然たる説得力を欠くならば、ただのインキのしみとこき下ろされても仕方がない。だから、ぼくの『ニュース解説』も、ラジオに関する限り、本質的には頭で書いた文章の延長であって、話術は第二義的な意味を持つ問題にすぎなかった》

 この後、坂田はテレビについて「見られる」という側面があり、ラジオとは異なる要素があることを書いている。

 坂田の言う通り、ジャーナリストには「達意の表現力」が求められる。そうしたジャーナリストは少なくないが、中でも忘れることができないのは、朝日新聞のコラム「天声人語」を担当し、道半ばにして急性白血病で亡くなった深代惇郎郎だ。 深代の生涯を追った、ノンフィクションライター後藤正治の「天人 深代惇郎と新聞の時代」(講談社)が最近出版され、手に取った。

 私の本棚には深代が亡くなったあとの1976年(昭和51)9月出版の『深代惇郎天声人語』(朝日新聞)がある。深代の文章は時にはユーモアにあふれ、時には政権を監視する筆致を崩さない。後藤の本を読んだあと、深代のコラムを読み返して、そう思った。まさしくこの人は達意の文章を書いたのである。 1本だけ、深代コラムを掲載する。「盗聴テープ」である。

《大きな声では言えないが、ふとしたことで盗聴テープが筆者の手に入った。驚いたことに、先日の閣議の様子がそっくり録音されているではないか。そのサワリを、こっそりご紹介しよう。 テープを信用できるなら、この日の閣議の話題はやはり田中内閣の人気についてであった。

 内閣支持率は二十%台を低迷し、神戸市長選も敗れた。「”世界の田中”になり、大減税、新幹線計画も持ち出したのに——」という嘆息が、まず聞こえた。「やはりインフレが痛い」「評論でなく、案を持ち出してほしい」。首相の声も心なしかさえない。 そのとき「ゴルフ庁はどうか」という声があった。

「ゴルフ人口は一説に一千万人、低く見ても六百万人。参院選前に放っておくテはない」と、熱弁を振るっている。「『赤旗』もゴルフ記事を出しているね」という声は、官房長官らしい。

尾崎将司の立候補打診をすべきだ」という人もいた。 ゴルフ減税、総理大臣杯などの案が出た。「長官を誰にするかね」「やはりホールインワンの総理兼任でしょう」「いや、本場のイギリスでのスコアがお恥ずかしい」と、首相はめずらしく反省の様子だ。 「石原慎太郎君はどうだ」「彼は飛ばしすぎだ」。話はきまらずに、つぎにゴルフ庁の構成に移った。たちまち役所の陣取り競争だ。

「バンカーがある」といっているのは建設相らしい。芝生を力説しているのは環境庁長官。農地転用を指摘するのは農相。娯楽遊興税について、蔵相が弁じている。 キャディーの労基法を労相が一席。官庁ゴルフを行政管理庁長官。レクリエーションの元締めだ、とがんばっているのは文相。

 結局「ゴルフ庁設置に関する審議会」を設けるところで、テープは終わっている。あのテープ、どこにしまったのか、その後いくら捜しても見つからない。(1973・10.31、深代惇郎天声人語より)》

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