小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1747 苦しい経験を生きる糧に 引退の稀勢の里へ

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 大相撲の横綱稀勢の里が引退した。横綱在位12場所、15日間を皆勤したのはわずか2場所という短命な横綱だった。記録面から見ると、不本意な力士生活の頂点だったといえる。だが、なぜか気になる存在だった。それは相撲ファンに共通する見方だったかもしれない。  

 2017年春場所で左胸などに大けがをしながら出場し、奇跡の優勝といわれた。しかし、このけがが力士生命を奪う結果になった。横綱の引退でこれほど騒がれたのは、やはりけがが原因で土俵を去った貴乃花以来だろうか。不器用な力士といわれた稀勢の里は、多くのファンに愛された、まさに「記録より記憶に残る」横綱だった。  

 私はこのブログで、何回か稀勢の里を取り上げている。それを読み返してみると、大器といわれたこの力士へかなり期待していたことを痛感する。2012年5月25日の「 谷風、雷電と稀勢の里」、2016年7月25日の「あすなろ物語 横綱目指す稀勢の里」と、折に触れてこの人を取り上げた。相撲界は長い間、白鵬という大きな存在があり、それ以外の力士は霞んでしか見えなかった。そんな中で、稀勢の里白鵬の連勝記録を2回も遮ったのだから、白鵬にとって一番嫌な相手だっただろう。  

 歴代2位の63勝まで連勝記録を伸ばした2010年九州場所2日目で白鵬に勝ったのは稀勢の里であり、2013年にも43連勝を続ける白鵬春場所14日目にくだし、白鵬キラーになった。にもかかわらず、優勝をかけた大一番や今場所こそという時にことごとく失敗し、精神力の弱さを露呈し続けた。そんな稀勢の里が優勝し、横綱昇進を確実にした当時(2017年1月)「名横綱への道」というブログを書き、力士としての花が開くことを予感した。結果としてそれは裏切られたのだが、多くのファンと同様、稀勢の里を批判する思いはない。  

 先日、女子レスリングの吉田沙代里が引退を発表した。世界に君臨し、国民栄誉賞を受賞した選手だから、引退の記者会見はさわやかささえ感じた。一方、重圧に押しつぶされた稀勢の里は、会見途中で涙を流した。「横綱として悔いが残る」「土俵人生に一片の悔いはない」と語ったその胸中は複雑だったことが顔に表れていた。吉田と稀勢の里引退会見を見て、人間の悲喜を感じたのは私だけではないだろう。稀勢の里は「挫折」したのかもしれない。だが、横綱時代に味わった苦しみは、これからの長い人生の糧になるはずだ。

1542 名横綱への道 稀勢の里の魅力  

写真は遊歩道に咲いたロウバイ