小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1552 手負い稀勢の里の優勝  底知れぬ人間の力

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 大相撲春場所で左肩周辺にけがをし、優勝は絶望とみられた横綱稀勢の里大関照ノ富士との対戦で勝ち、2敗同士で並んだ優勝決定戦でも連破、2場所連続2回目の優勝を果たした。NHKの実況中継で解説の北の富士さんは勝つという予想はしなかった。専門家も相撲ファンも同じ気持ちだっただろう。それほど13日目に日馬富士に負け、土俵の外に転落したあとの痛がりようは尋常ではなかった。稀勢の里は手負いになった。それでも、人間には底知れぬ力があることを新横綱は示してくれたといえる。  

 スポーツ選手はけがとの戦いである。一流選手はけがも少ない。野球のイチローはその典型だ。王や長島、落合、野村、金田、張本等々、歴史に残るプロ野球選手はけがをすることは少ない。最近でこそ、横綱白鵬も休場が目立つが、白鵬もけがをしない力士の代表格だった。  

 稀勢の里の場合もこれまで休場したのは2014年1月場所初場所)の千秋楽の一日だけである。右足親指の故障が原因だが、15年間相撲をとっていて、休んだのはこの日だけというから、稀勢の里は頑健な体の持ち主なのだ。来場所以降、けがを克服できれば真に強い横綱になることは間違いにない。  

 手負いという言葉では、大阪の森友学園籠池泰典氏のことを連想する。安倍首相と精神的土壌は同じ人物で、戦前回帰のようは教育勅語を幼児教育に導入し、さらに小学校を創設して同様の教育を進めようと考えていた。安倍首相もそれに賛同し、昭恵夫人が一時名誉校長に就任した。だが、国有地を小学校用地として常識を超える格安で購入したことが発覚、窮地に立たされた。(この問題では財務省の官僚の非人間性を知悉した)その末に「総理夫人から百万円の寄付をもらっています」という爆弾発言をし、「総理を侮辱した」という理由で、国会の証人喚問に引っ張り出されてしまった。  

 国会では、主に昭恵夫人から百万円を受けとった際の状況を詳しく証言した。偽証をすれば罪に問われる可能性が場での証言であり、うそではないと思うのが常識的な見方ではないか。広辞苑によると、手負いは「攻撃を受けて傷を負うこと。負傷。また、その者」の意味という。森友学園をめぐる真相は、依然藪の中である。だが、手負いの人から、次に何が飛び出すか分からない。