小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1785 都市の風景の変化を描く 街を歩く詩人

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 「記者は足で稼ぐ」あるいは「足で書け」といわれます。現場に行き、当事者に話を聞き、自分の目で見たことを記事にするという、報道機関の基本です。高橋郁男さんが詩誌「コールサック」に『風信』という小詩集を連載していることは、以前このブログでも紹介しました。6月号に掲載された14回目も街を歩き、観察した事象を小詩集にまとめています。元新聞記者(朝日の天声人語筆者)の高橋さんらしい、足で稼いだ作品を読んで、私も東京の街を歩きたくなりました。

  日記風に書かれた今号に出てくる街は芭蕉ゆかりの深川と隅田川。場内市場が豊洲に移転した築地場外市場、六本木の東京ミッドタウンと国立競技場近くの青山通り、そして霞ヶ関の国会議事堂です。小詩集には芭蕉井原西鶴関孝和(江戸時代の数学者)、ニュートンデカルトという歴史上の著名人の考察が加えられています。この人々を考えるキーワードは「自由な探求と鋭い透視」です。

  芭蕉西鶴の特徴を高橋さんは以下のように記しています。

 

 動の西鶴に 静の芭蕉

 派手な西鶴に寂びの芭蕉

 表向きは対照的な両人だが

 それぞれの営為には 相通ずるところが透けて見える

 それは「自由な探求と鋭い透視」

 芭蕉は 人の生について 深く自由な探求と透視を続け 

 俳諧を 時代を超える芸術にまで至らしめた

 西鶴は 建前や柵(しがらみ)から自由な生の探求と透視を続け

 浮世草子を 時代を超える芸術にまで至らしめた

  

 街を歩けば出会いがあります。芭蕉庵跡への途中では40年来付き合いのある和食店で2代目夫婦と3代目に会い、築地の場外市場ではなじみの店の女性店員が退職して結婚することを聞いてレシートの裏に折句を書いて渡すのです。青山通りに面したスーパーの2月の閉店日には、雨の中をやってきた80歳前後の老女の傘を女性店員が雨水を切ってたたんでやるのを目にします。

  その場面の折句と閉店するスーパーで見た光景の句です。

「折句」

 つき ひこえ 

 じっ とみらいをみる 

 こ かな=

 月日超えじっと未来をみる娘かな

「俳句」

 閉店の客を労(いた)わり二月尽

  3・11から8年目の日。国会議事堂前を歩いた高橋さんは「東京でも有数の 広く 整然とした街路にイチョウやサクラの並木が 整然と連なる 警備の車両と警察官たちもまた 整然と連なっている」と記し、「この議事堂の周辺を支配する『整然』とは裏腹の 福島原発周辺の破綻 散乱 錯乱の様(さま)が想起される」と続けるのです。そして、沖縄県民の思いを無視した辺野古の埋め立て強行に触れたあと、憲政記念館の尾崎咢堂像を見て駆け引きに走って審議を尽くさない帝国議会を「議事堂ではなく採決堂だ」と咢堂が痛烈に批判したことを想起し、現在の安倍政権も多数をいいことに「粛々」などと言いつつ徒(いたずら)に「採決」に走ってきたのではないか――と厳しい視線を向けるのです。

  国会周辺の並木に近寄るとイチョウとサクラが芽吹いており、小詩集は「さくら萌ゆ数(かず)に溺れし議事堂に」という、現在の国会の姿を明確に表現した句で結んでいます。

 私は先日、福島南部と茨城北部を歩きました。原発事故とは無縁ではない地域です。あの日から8年が過ぎ、美しい緑の季節になっていました。空気は澄み渡り、空は青く、原発事故が起きたことを忘れるほどの長閑さでした。しかし、この数十キロ先では、今も果てしない「錯乱の様」が伴う廃炉作業が続いているのです。

 

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 1、牧場にて(この数十キロ先に原発がある)2、牧場の一角に設置された線量計

 

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