小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1841最長寿蝙蝠(バット)消える 喫煙習慣の終りの始まり

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ゴールデンバット」と聞いて、たばこの銘柄と分かる人はかなり減っているのではないだろうか。1906(明治39)年から続いた日本一長寿の銘柄だが、ことし限りで姿を消すことになった。若いころの一時期、私もたばこを吸ったことがある。しかし、長い間たばことは縁がなくなったためか、この銘柄が残っていたとは知らなかった。知人のコラムニスト、高橋郁男さんが詩の雑誌で続けている小詩集「『風信』16」(詩誌「コールサック12月号)の最後のくだりでバットの終焉について書いているのを読んで、時代の変化を感じざるを得なかった。  

 高橋さんは、バットの歴史とこの銘柄に絡む芥川龍之介中原中也太宰治の小説、詩、手紙に触れ、自身の喫煙経験(20歳代まではチェーンスモーカーに近い状態。当時の写真はたばこを手や口にした姿が少なくないという)を振り返り、最後にこんなふうに結んでいる。

  たばこと喫煙の習慣が 
 アメリカ大陸から世界に広がったのは 大航海の時代 
 それからざっと五百年 
 かなり長い歳月だが 遥かな人類史からみれば 最近のこと
 最長寿の蝙蝠(バット)の終息は 
 喫煙という習慣の 終りの始まりかもしれない

 

 私も20歳代はたばこを吸っていた。高校時代、とっぽい(不良に近い)友人からもらって吸って大人はまずいものを好むのだと思ったのに、20歳を過ぎるといつの間にか喫煙者の仲間になっていた。麻雀をやりながら、酒を飲みながら、原稿を書きながら(当時の記者はほとんどたばこをくわえながら、原稿用紙に向かっていた)……。

 たばこなしの生活は考えられなくなった。たまにたばこを切らして、友人に「1本」とねだると、バット(当時、最も安いたばこだった)が出てきて、そのイガラッポイ味に辟易したことを覚えている。それでいて、高級といわれた両切りの「ピース」も口には合わず、「ホープ」か「ショートホープ」が愛用銘柄だった。  

 戦中から戦後にかけてバットは「金鵄」と呼ばれた時代がある。金鵄は日本神話に登場する金色のトビのことだという。神武天皇の東征の際、抵抗した大和の土豪長髄彦(ながすねひこ)は天皇の弓にとまった金色のトビに目を射られて敗退した。のち天皇に帰順しようとしたが、その前に天皇に帰順していた饒速日命(にぎはやひのみこと)に殺されたとされ、戦時中、金鵄は縁起のいい名前と考えられたのだろう。  

 なぜバットが金鵄になったのか。今では考えられないことだが、カタカナ語は敵性語とする内務省による通達という強制だ。バットもこのバカな通達によって金鵄となり、1940(昭和16)年から戦後の1949(昭和24)年までこの名前で販売されたのだ。妹尾河童のベストセラー小説『少年H 上巻』(講談社)にも「たばこの“ゴールデンバット”が“金鵄”になった。バットは蝙蝠やろ、それが神武天皇の弓にとまった金色の鳥になったんやから、えらい昇格や」という場面がある。当時、たばこは大幅値上げとなり、バットは武功のあった軍人に与えられた勲章と同じ名前が使われ、たばこを吸わない人から見れば高級たばこに見えたかもしれない。  

 時代は変わって、このところ喫煙者人口は急減しつつあるという。人口の高齢化と健康志向の高まり、法律や条例による喫煙規制の強化、販売価格の値上げなどが要因といわれ、喫煙率はピーク時の1966(昭和41)年が49・4%(うち男が83・7%)だったものが、1989(平成元)年に男女計36・1%(男61・1%)となり、さらに2018(平成30)年には17・9%(男27・8%)まで下がっている。この調査をしていたJT(日本たばこ)は、たばこ普及の限界を感じたのか、2018年をもって調査の終了を公表している。  

 私は30過ぎになってたばこをやめた。のどの調子が悪く、不快感が続いたからだ。やめたらその状態は消えた。現在もたばこを吸い続ける友人がいるが、珍しい存在だ。高橋さんが書く通り、最長寿たばこバットが消えることは、日本人の喫煙習慣の終りの始まりを象徴するように思えてならない。  

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