小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1588 ある秋の詩 小詩集『風信』より

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 このところ、私が住む関東南部は涼しい日が続いている。9月の初旬といえば、「残暑」という言葉通り、例年はまだエアコンに頼っているのだが、ことしはそうではない。秋の気配が例年より早く漂い始めているのである。そんな時、一つの詩を読んだ。その詩は「秋の野が奏でる交響詩『たわわ』で結ばれていた。

  詩人でコラムニストの高橋郁男さん(元朝日新聞・天声人語筆者)は、詩誌「コールサック」に『風信』と題した小詩集を連載している。9月号に7回目が掲載された。この小詩集の意図について、高橋さんは1回目の末尾に「人と時代の営みの一端を、現実と想像の世界とを糾(あざな)いながら、散文詩風に綴ります。折々の、風の向きや風の便りをのせ『風信』のように」と書いている。

  7回目末尾の詩と句を以下に掲げる。

 

 秋の実りが

 枝を撓(たわま)せる

 カキといよりは柿に

 ナシというよりは梨に

 リンゴは林檎に

 ブドウは葡萄となり

 地球の芯の方を指しながら

 それぞれに揺れている

 

 秋の野が奏でる

 交響詩「たわわ」

 

 垂れる穂やたわわな季(とき)の栞かな

 

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『風信』7回目は、ロシアの古都、サンクトペテルブルクの地下鉄で女性から席を譲られた体験から始まる。ドストエフスキーが収監されていた要塞監獄を訪れた後のことだった。その後、この地下鉄で自爆テロがあったことに触れ、ドストエフスキーの『罪と罰』、帝政ロシア時代のテロリストで詩人のカリヤーエフのこと、さらに石川啄木のテロリストが出てくる詩(『呼子と口笛』の「ココアのひと匙」)の一部を紹介し、9・11以降、一般人を巻き添えにした無差別テロが絶えない現状へ筆は進んでいく。

  続いて、イラクフセイン政権への米国ブッシュ政権の先制攻撃がゴルディオスの結び目(古代アナトリアフリギアのゴルディオス王が結んだ複雑な縄の結び目のこと。これを解いた者はアジアを支配するという伝説があったが、アレクサンドロス大王が剣で両断し、アジアを征服した。転じて、難題、難問の意味に使われる)になってしまったこと、自身が地下鉄サリン事件の被害者になる可能性もあったことも描かれる。

  車をやめて40年余経ても、時々壁に衝突しそうになる夢を見ることも書かれ、明治時代の文人斎藤緑雨の「文明の利器は文明の凶器也」という言葉に触れ「彼の時代の『利器で凶器』は 汽車 自動車 電気 20世紀は 飛行機 テレビ 電算機 21世紀は ネット 自動運転 人工知能 やがては 自動人間 自動人生か」と、未来の予測をしている。この後、時代は古代ローマへと遡り、叙事詩アエネーイス』を書いた詩人ウェルギリウスの物語へと展開し、秋の詩と句で終わっている。

  前回(6回目)で高橋さんは、ことし3月11日、放射能線量計を持って原発事故の福島浜通りを旅したことも書いている。南相馬市の埴谷島尾記念文学資料館」(埴谷雄高島尾敏雄を記念する文学館)の壁に、埴谷の「いまだならざるものも やがて現われる いまだこないものも やがてやつてくる」という言葉が掲げられているのを見て「放射能に覆われる時代への予言のように 響いてくる」という感想を書いた。『風信』は、歴史を多角的に振り返りながら、現代はどんな時代であるのかを示す、警世の文でもあるのだ。