小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1710 荒々しさ増す地球の気象 『空白の天気図』再読

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 台風24号が去った。きょうから10月。とはいうものの、手元の温度計は30度を超えている。25号も発生したというから、ことしは台風の当たり年といえる。昭和以降の被害が甚大だった台風を「3大台風」と呼んでいるという。室戸台風(1934年9月21日)、枕崎台風(1945年9月17日)、伊勢湾台風(1959年9月26日)である。このうち、枕崎台風は鹿児島県枕崎市の名前が付いているが、被害は広島県の方が大きかった。なぜなのだろう。  

 枕崎台風は、1945年9月17日、鹿児島県川辺郡枕崎町(現在の枕崎市)付近に上陸後、九州を縦断。さらに広島市の西約15キロの地点を通り、北東に進んだ。今回の台風と同様、各地で激しい雨が降り、洪水や山崩れなどが続出、死者2473人、行方不明者1283人という大きな被害を出した。特に広島県では呉市を中心に死者・行方不明者が2000人を超え、台風が上陸した九州全部よりも多い犠牲者が出た。この背景には、原爆投下による混乱のため防災対策が取れなかったことが挙げられている。

 ノンフィクション作家、柳田邦男は『空白の天気図』(1975年、新潮社)という枕崎台風をテーマにした作品を書いている。この台風の犠牲者が、広島県に集中したなぞを探ったものだ。柳田がこの作品に取り組んだのは、広島原爆については多くの記録や文学作品、学術論文があるのに、直後に広島を襲った枕崎台風については記録が少なく、「戦争の時代と戦後史との接点にある、この事件の知られざる部分に光を当ててみたい」(同書あとがき)というジャーナリストとしての疑問からだったという。  

 以下は、柳田の疑問を要約。広島の原爆では死者不明者が20数万に上った。一方枕崎台風広島県下の死者不明者は2012人。前者は想像を絶する非日常的数字だが、後者は現実的で日常的数字のように見える。台風の悲劇が原爆被害の巨大な影の中に隠され見えなくなっているのは、この数字の圧倒的落差かもしれない。だが冷静に見るなら、一夜にして2000人を超える人命が失われたということは、尋常なことではない。しかもこの台風の広島県下の犠牲者数は、上陸地点の九州全体(442人)よりはるかに多かったことには、特別な事情があったはずである。  

 この作品は、こうした疑問に答えるべく、原爆投下という惨禍の後、台風の直撃を受けた広島地方気象台の台員たちを主人公として、気象関係者の証言や資料・記録を集め、構成したものだ。枕崎台風当時と比べ、気象予報は格段に進歩している。台風や大雨に関する注意報、警報もきめ細かに出され、防災対策もとられている。それでも災害は減らない。台風24号では鉄道は夜の早い時間に運転を打ち切り、停電(娘一家が住む沖縄那覇では丸一日)も相次いだ。地球温暖化によって、気象は荒々しさを増している。この難問に人類はどう立ち向かうのだろう……。