小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1709 ニュースに見る現代社会 貴乃花・新潮45・伊方原発訴訟

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 朝刊を開いて、載っているニュースについて考えることが日課になっている人は少なくないだろう。私もその一人である。けさは3つのニュースが目についた。大相撲の貴乃花親方の退職届、雑誌「新潮45」の休刊、そして四国電力伊方原発の運転認める広島高裁の判断―である。それぞれに考える材料を提供してくれるニュースに違いない。

 貴乃花親方は平成の大横綱といわれ、兄の若乃花とともに若貴兄弟として大相撲の人気興隆に大きく寄与した。優勝回数22回は白鵬(41)、大鵬(32)、千代の富士(31)、朝青龍(25)、北の湖(24)に次いで6番目になる。その貴乃花は弟子の貴ノ岩横綱日馬富士(引退)に暴行された事件後、相撲協会と対立し、ついに相撲協会から姿を消すことになった。これまでの経緯を見ていると、「たった一人の反乱、あるいは一人芝居・相撲」「孤立無援」という言葉通りの孤独な闘いをし、敗れ去ったという印象だ。相撲ではとてもかなわなかった親方衆が、束になって我が道を行く元大横綱を土俵外に押し出したと見ることができる。たった一人の反乱では、組織と闘うのは困難であることを印象付けた。それにしても、この騒動の背景には何があるのだろう。  

 自民党杉田水脈という安倍首相お気に入りの衆院議員が寄稿した「『LGBT』(性的少数者カップルは生産性がない」とする寄稿(8月号)が差別的と批判された後、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」特集を10月号に載せた「新潮45」が、この号を限りに休刊すると、新潮社が発表した。事実上の廃刊らしい。先日、図書館で10月号を読んだばかりだった。このうち特に文芸評論家による原稿の低劣さに驚いたばかりだった。新潮社社長の声明にあったように、常識を逸脱したといっていい原稿だった。かつて、社会派記事でならしたこの雑誌は、良心をなくしたとしか思えない編集者によって墓穴を掘ってしまったのだろう。この出版社の本を読むことが少なくない。同社の社員には、文化を支えるという誇りを取り戻してほしいと思う。  

 広島高裁の三木昌之裁判長は25日、伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転を差し止めた同じ広島高裁の仮処分決定(昨年12月)を取り消す決定を出した。争点になったのは、火山(熊本・阿蘇山)の巨大噴火による原発への影響だった。決定は「頻度が低いうえに予測が難しい巨大噴火による被害は社会通念上容認される」というものだ。「社会通念」は、「その時代やその社会一般の人に支持されている常識や、その枠の内にとどまることが良しとされる判断」(三省堂新明解国語辞典)という意味だ。

 実は原子力規制庁はことし3月、巨大噴火のリスクを社会通念上容認されるという指針(下にその関係部分を掲示)を示しており、今回の決定はこの指針に沿ったものだそうだ。この指針自体が問題であり、3・11東電福島原発事故で、大津波は「想定外」という弁明が使われたが、まさにこの論法といっていい。社会が心配していないのだから大丈夫、というわけである。そんなことはない。大地震も大噴火も予測できないのが社会通念ではないか。それは3・11や御嶽の噴火が証明している。社会通念の使い方を間違えた、司法の責任を放棄した安易な決定のように思えてならない。原子力規制庁の指針を私は新聞記事で読んだ記憶がない。扱いが小さかったのだろうか。本当は、大きなニュースだったのではないかと思う。    

 注・巨大噴火は、広域的な地域に重大かつ深刻な災害を引き起こすものである一方、その発生の可能性は低頻度な事象である。現在の火山学の知見に照らし合わせて考えた場合には運用期間中に巨大噴火が発生する可能性が全くないとは言い切れないものの、これを想定した法規制や防災対策が原子力安全規制以外の分野においては行われていない。したがって、巨大噴火によるリスクは、社会通念上容認される水準であると判断できる。(原子力発電所の火山影響評価ガイドにおける 「設計対応不可能な火山事象を伴う火山活動の評価」に関する 基本的な考え方について 。平成30年3月7日原子力規制庁)  

 写真 道端にひっそりと咲くオトコエシの花