小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1711 オプジーボと先輩からのメール 本庶佑さんのノーベル賞に思う

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 職場の先輩Yさんが肺がんで亡くなったのは2017年3月のことだった。闘病中のYさんから、当時としてはあまり聞きなれない「オプジーボ」という薬を使っているとメールをもらったことがある。がん患者には光明ともいえる薬である。この薬の開発につながる基礎研究をした京都大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)さん(76)が2018年のノーベル医学・生理学賞を受賞することが決まったというニュースを見て、Yさんからのメールを読み直した。  

 本庶さんを中心とする京大の研究グループは1991年、免疫を抑制するタンパク質「PD-1」を発見、このPD-1が免疫反応のブレーキ役に相当し、ブレーキを外せば免疫力が高まってがん治療に応用できるというメカニズムを確立した。これが2014年9月、小野薬品工業大阪市)が発売したがんの免疫治療薬「オプジーボ」(一般名ニボルマブ)の開発へとつながった。本庶さんの研究は、「20世紀の偉大な発見」といわれる抗生物質ペニシリン」(1928年、英国のA・フレミングが青カビから発見)に匹敵するという評価もある。  

 Yさんからのメールは2016年4月6日付で、それ以前に「オプジーボ」を使い始めたことは電話で聞いていた。当時、私はこの薬についてほとんど知識はなかった。Yさんからは肺がん治療に有効なこと、保険が適用されないため3000万単位の費用がかかること、ただYさんは大学病院で治療を受けていたため研究用として扱われ費用はそうかからない―などを知らされた。オプジーボによる治療は数クールにわたっており、メールの段階では3回目の治療だった。以下はメールの概略だ。 「桜満開」のたよりにもいま一つ気分が乗りません。日頃より、私の体調をお気遣いいただき感謝しております。「免疫治療・オプジーボ」に寄せる期待が大きいだけに何とか、私の治療が好転することが、他の患者や今後の患者の道標になるのではないかとの思いです。  

 きょうオプジーボの第3クール目の点滴治療を受け、帰宅しました。全身がだるく、先ほど床から起きたところです。この治療を受けてから、短期間ではありますが、体感的に息苦しさやせき込みの回数も軽減し、会話もスムーズになってきていると感じています。ただ担当医は「オプジーボの効果と判断するのは尚早」と慎重な姿勢を示しています。  

 これからは、季節も暖かくなると思います。体調に気配りしながら徐々に世間の空気になじんでいこうと思っています。元気な私の姿を早く、貴兄らに披露できるよう努めます。体調管理には、十分気を使って春をお楽しみください。  

 Yさんは2013年春の健康診断で肺に影が見つかり、その後の精密検査で転移性肺腺癌(ステージ4)と診断され、がんは脳にも転移していた。外科手術はできず、抗がん剤放射線治療を受け、がんと闘かった。そして「オプジーボ治療」に望みを託したのだが、闘いは続かず2017年3月息を引き取った。もう少し早くこの薬を利用できていれば、回復の可能性があったかもしれないと思うと、残念でならない。     

 本庶さんは受賞決定後の記者会見で「この治療法で重い病気から回復して元気になった、あなたのおかげだと言われる時があると、自分の研究に意味があったと実感し、何よりうれしい」と語った。Yさんは間に合わなかったが、この治療法が多くのがん患者の回復に劇的な役割を果たす日が来ることを願うばかりである。(現段階でオプジーボが効果があるのはがん患者の2、3割程度といわれる)  

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