小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1689 邯鄲の昼寝 覚める時まで真に生きたい

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「イタリアやスペインでは〇〇は四季を通じて行われ、一つの文化である」。これは角川俳句大歳時記(角川学芸出版)に出ている、ある季語の解説の一部だ。賢明な方はすぐにあれかと思い至るはずだ。そうです。「〇〇」は「昼寝」でした。この夏は猛暑を超えた酷暑が続いている。それだけに昼寝は疲労回復のためにも必要なのかもしれない。

 足しびれて邯鄲(かんたん)の昼寝夢さめぬ 正岡子規  

 これは「邯鄲の夢」という「人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ」を意味する中国に伝わる言葉を使った俳句である。唐代の沈既済の小説、「枕中記」(ちんちゅうき)に出てくる。

 小説は「盧生という青年が、邯鄲(現在の河北省南部の都市)で道士呂翁から不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立身して富貴を極めたが、目覚めると、枕頭の黄粱(こうりょう=オオアワの別名)がまだ煮えないほど短い間の夢であった」(広辞苑)という内容。この話を子規は巧みに俳句に取り入れたのだ。  

 芥川龍之介は「邯鄲の夢」をテーマにした『黄粱夢』というショートショート(掌編小説ともいわれる)を書いている。その最後で盧生は以下のようなセリフを吐く。「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか」  

 夢というのは寝ている間に見る幻覚だけでなく、自分の将来にやってみたいと思う願望や理想のことも言う。この句を作った子規や掌編小説を書いた芥川はどんな夢を持っていたのだろう。しかし、子規は34歳で病死し、芥川は35歳の若さで睡眠薬自殺をしていて彼らの夢を推し量ることができない。  

 冒頭、「昼寝は一つの文化」という言葉を紹介した。日本人にとっても期間限定とはいえ、昼寝は夏の風物詩になっていて文化なのかもしれない。世の中はますます気ぜわしい時代になっている。この風物詩がいつまで続くか分からない。ただ私は、邯鄲の昼寝をやめることはしない。  

 写真 鮮やかな「サンタンカ」の花=那覇市首里にて