小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1579 大暑を乗り切ろう 国民的文芸に親しむ

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大暑」の季節である。熱気が体全体にまとわりつくほど蒸し暑い。一雨ほしいと思っていたら、滴が降ってきた。そんな一日、ある句会に参加した。「現代の俳人で歴史に残るのはこの人しかいない」と、句会の主宰者が評価する金子兜太は「俳句は、日本人にとって特徴的な国民文芸である」というのが持論だ。句会に出て、私もこの言葉の意味をかみしめた。  

 今回の兼題は「祭、花火」「木下闇、夕立」「冷奴、冷酒」で、席題は「季節の花」である。以下は主な投句。  

「祭、花火」  

 笛太鼓いつ途絶へしか祭果つ  

 遠花火家郷に父母のなかりけり  

 放たれし花火無限へまっしぐら  

 全天に刹那の光大花火  

 夏至祭や白夜の街も輪で踊り  

 馴れ初めに想いを馳せる遠花火  

「木下闇、夕立」  

 森洗い樹々蘇る夕立かな  

 義経の主従往きけり木下闇  

 夕立に折り畳み傘触れる肩  

 図書館を夕立上がりの父子出づる  

 夕立に打たれ佇む野良の猫  

 大夕立妻の呼ぶ声フォルテッシモ  

 夕立や虹のトンネル新幹線※  

「冷奴、冷酒」  

 津軽三味聴いて津軽の冷やし酒  

 清貧に生き来て二人冷奴  

 絹肌の崩れたるまま冷奴  

 宵の口老妻も居て冷し酒  

 涼しさや薩摩切子に冷やし酒※  

「季節の花」  

 水芭蕉はたちの頃のモノローム  

 農水路草の繁みに夏あざみ  

 沼巡る人を送りし水芭蕉  

(※印は季重なりだが、好評だった)  

 

 花火の思い出話を少し。  

 幼いころ、旧盆になると毎年の楽しみは母に手を引かれて見る町の花火大会だった。その花火大会が、いまも続いているとは聞かない。  

 ある夏、急な出張で新潟県長岡市に行った。当日が全国的に有名な長岡の花火大会とは知らずホテルの予約はしていなかった。どこも満室で結局新潟市に泊まった。列車で新潟に向かう途中、信濃川の鉄橋から少しの時間花火が見えた。  

 札幌の夏の風物詩は豊平川の花火大会だった。札幌に住んでいた当時、マンションベランダに出て、ビールを飲みながら一人で花火を見たことがある。北海道新聞北海タイムス、読売新聞が3週連続でそれぞれ花火大会を開催した。そんな時代もあった。現在残っているのは北海道新聞(UHB文化放送と共催)の花火大会だけである。  

 埼玉県秩父市秩父夜祭は12月の祭りである。ユネスコ無形文化遺産に登録されている伝統行事で、提灯で飾り付けられた山車の曳き回しがよく知られている。同時に冬の花火もこの祭りのハイライトだ。震える体を温めるため日本酒を飲みながら、夜空にくっきりと浮かぶ光の芸術を見上げたのはもう10数年前のことになる。  

 東京月島の高層マンション50階に知人が住んでいる。知人に「東京湾大華火祭」があるからいらっしゃいと何度か誘われ、満員の地下鉄に乗ってマンションに行った。眼下に大型花火を見るのは初めてで、夢のような時間を体験したことをいまも覚えている。  

 花火ではないが、タイ・チェンマイに住む友人を訪ねた際、小さな熱気球であるコムローイ(天灯)を上げた。幻想的な東南アジアの行事である。(詳しくは下のブログを参照してください)  

 人は各人各様に花火や祭りの思い出があるだろう。短い文字にそれぞれの思いを込めて作ったのが前掲の句である。俳句の妙を感じる。

1458 俳句は謎めいた水晶球・おかしみの文芸 ある句会にて

1211 雛祭り終え菜の花の季節 ある句会にて

1396 子規の9月 トチノミ落ちて秋を知る

496 東京湾大華火祭 火の芸術を楽しむ

1174 コムローイ(天灯)に想う タイへの旅(2)