小さな庭の中心にキンモクセイの木がある。この家に住んでことしで30年。この木も同じ時代を歩んだ。庭の外には遊歩道があり、多くの人が散歩を楽しんでいる。そこには大木になったけやき並木がある。新緑の季節。キンモクセイとけやきの若葉は、競うように太陽の光を浴びている。
2つの木に心があるなら現代の世相をどう見るのだろう。今回はキンモクセイとけやきの架空対談をお届けする。(キンモクセイは「き」、けやきは「け」と表記)
き このところ、風が強いね。けやきさん、大丈夫かい。
け うーん。私は根を大きく張っているので、この程度の風は問題ないよ。……というのはやせ我慢さ。実はけっこう、つらいなあ。こんなに強い風でなければ、枝につけていた新芽を覆う鱗片(りんぺん)は少しずつ落とすんだがね。でも、風で飛び散ったね。
き そういえば、庭や雨どいにもたまっているとうちの人も言っていたよ。ことしは寒い日と暖かい日が繰り返しやってくるね。これからどんな気候になるのかなあ。
け 暖かい日は私の前を散歩する人が多いね。いろんな人がいて、話し声が聞こえてくるよ。
き 最近はどんな話が聞こえてくるの。
け 政治の話題が多いかなあ。でも、聞いていて嫌になることがほとんどだよ。団塊の世代らしい2人のおじさんの1人は、高橋和巳という、かなり前に亡くなった作家の話をしていたよ。何でも「最近この人の随筆集を読み直したら『さて、おもうに〈権力〉なるものには、おのれみずからを反省する鏡がない』ということが書いてあった。日本の今の政治をみていると、高橋が言う通りだと思うよ」というようなことを言っていたね。
き そうかい。うちの人も庭に出ると、独り言を言うんだが、最近はぼやきばかりだね。
け 若い奥さんたちも散歩しているんだけれど、財務省の事務次官という人のセクハラ発言は許されないと、大きな声で言っているのが聞こえたよ。
き その話題はリビングのテレビの音が漏れてくるので、私も知っているよ。でも、このほかにもいろいろあるね。モリトモとかカケイとか……。これだけでなく、次から次にいろいろなことが出てくるね。一体、この国の役人といわれる人たちはどうなってしまったのかな。
け 確かに不祥事が次々に出ているようだね。さっきの団塊の世代のおじさんは「政治家も役人も信用できない。世も末だ」と嘆いていたよ。
き そうかい。でも、けやきさんはかわいい犬を毎日見られて楽しいんじゃないの。私の家に春休みに遊びにきていたノンちゃんという小さな犬は、飼い主と一緒に沖縄に行ってしまったので、次にいつ会えるか分からないんだよ。
け それは残念だね。雨の日を除いて、犬を連れた人たちが散歩しているね。犬は人間に比べると寿命が短いそうだね。いつも姿を見せていた犬が、ある日から姿を見せなくなるのは寂しいね。
き うちにも以前、大型犬のゴールデンレトリーバーがいたんだ。でも、死んでから間もなく5年になるね。この犬の遺骨は私の根元に埋葬されているんだ。だから時々この家の人がこの場所をきれいに掃除しているよ。
け そうだったね。もう5年になるのかい。よく散歩していたよね。たしかhanaという名前の犬だったと思うけど、君の家の人は本当にかわいがっていたね。
き そうだね。この家の主人はhanaが空の星、一等星のシリウスに帰ったと信じているみたいだよ。
け 冬になると、私もその星をよく見るよ。そうかい、それはいい話だね。
き 人間はいろんなことをやるんだね。この前この家の主人が、奥さんに四国巡礼の本を読んだと話しているのを聞いたよ。四国には88カ所の札所があって、全部歩いて回ると1200キロになるんだって。その本は関口尚という人の『明星に歌え』という題名で、若人が何人かで88カ所を回る内容だそうだ。関口さん自身も88カ所を歩いてこの小説を書いたらしいよ。青春群像小説というキャッチフレーズがついていて読みやすいと、主人は言っていたね。主人の知り合いには、四国巡礼とフランスからスペインのサンティアゴ・デ・コンボステラというところに向かう巡礼の道800キロの両方を歩いたという人がいるらしいよ。
け すごいね。体と精神力ともに強い人なんだ。
き 何でも30歳そこそこの息子さんを亡くし、息子さんの慰霊とその悲しみを忘れるために実行したそうだよ。その人に比べると、ここの家の主人はぐうたらみたいだから、そんなことはできないだろうと思うよ。あっ!雨が降り出したよ。風で運ばれてきて葉についた黄砂もこれで少し流れるかな。
け うん、そうだね。明日は晴れるかなあ……。
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