小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1612 何もなくても美しい朝 顔あげて天を仰ぎ見る

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 初空のなんにもなくて美しき 今井杏太郎

 午前7時前に家を出て、近所の調整池に行くと、住宅街の向こうに太陽が顔を見せ始めたのは間もなくだった。近所にはこの日だけ大勢の人が集まる別の場所があるが、実はこちらの方が美しい初日の出を見ることができるのだ。茜色に輝いた東の空は、たしかに何もなくとも美しい。透明感が漂う朝の空を仰ぎ見ながら、今年はどんな年になるのか考えた。  

 初の日の出のあと、車で7、8分の寺に初詣に行った。私が住む千葉で多くの人たちが詰めかけるのは、成田山新勝寺成田市)、中山法華経寺市川市)、稲毛浅間神社千葉市)、千葉寺(同)、香取神宮佐原市)等が知られている。私が行く千葉市緑区の寺(真言宗豊山派の平山お願薬師=東光院)は、地元の人以外は知らないと思われる。それでも、三が日の昼の時間帯は多くの初詣客でにぎわう。例年は10時過ぎに行くのだが、その混雑を避けて早めに行ってみると、予想した通り人影は少なかった。願いを込めてつく鐘の音は、乾いた空気の中、気持ちよく響き渡った。  

 この寺に続いて、もう一つの寺に行った。富岡山長徳寺という東光院と同じ真言宗豊山派の寺で、正月のみ本尊の薬師如来を開帳している。私はこの仏像を拝観するのがこの数年の習慣だ。本堂は私たち家族3人以外だれもいないため、静まり返っている。厨子(ずし)内の黒光りする薬師如来を見つめると、左手に薬壺を載せた如来が、昨年、不注意から右足に大けがをした私に対し「体に気をつけ、必ず健脚を取り戻しなさい」(年賀状に健脚を取り戻すのが目標と書いた)と言っているように思えた。  

 2つの寺の総本山は奈良県桜井市にある長谷寺である。長谷寺は8世紀の創建といわれるが、その正確な時期ははっきりしない。同寺が発行している「長谷寺秋冬64号」によれば、西国33所霊場の一つである長谷寺の始まりは、養老2年(718)に徳道上人が病気のため死の床に就いた際、閻魔大王から、地獄に送られる人間が多いので観音菩薩の慈悲心を説きなさいというお告げを得て回復し、観音の慈悲心を広めるため西国霊場のもとを築いたのだという。ちなみに、朝日新聞社発行の『仏教新発見17 長谷寺智積院」には、神亀2年(727)に徳道上人が長谷寺を創建したと記されている。  

 いずれにしろ、今年がこのお告げから1300年に当たるというわけである。このために長谷寺を含めた33の札所では2016年から2020年までの5年間、「いまこそ慈悲の心を」をテーマに、秘仏公開などさまざまな催しを続けているという。真言宗の宗祖、空海弘法大師)は「仏心は滋と悲である」「仏の慈悲は、天のごとく覆い、地のごとく載す」と述べており、長谷寺のご本尊、十一面観世音菩薩の本誓(本願)は「慈悲」とされている。  

 いま、世界ではテロが横行し、シリア難民問題は解決の展望はない。ミャンマーではノーベル平和賞を受賞したスーチーが政権の指導者になったにもかかわらず、イスラム少数民族ロヒンギャに対する政権による「民族浄化」的対応が続き、隣国バングラデシュへの避難=難民化が世界の多くの人々を失望させている。北朝鮮の核開発問題も不気味である。そんな時代だからこそ、「慈悲の心」が求められるのだが、それが通じないことが多いことは歴史が証明している。だが、いつの時代でも希望と慈悲心を失ってはならない。アンネの日記の最後に近い一節にも以下のようなことが記されている。この言葉を苦境に立つ世界の人々、東日本大震災から7年目を迎える被災地の人々にささげたいと思う。

《顔をあげて天を仰ぎみるとき、わたしは思うのです――いつかはすべてが正常に復し、いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と。それまでは、なんとか理想を保ちつづけなくてはなりません。だって、ひょっとすると、ほんとうにそれらを実現できる日がやってくるかもしれないんですから」(アンネ・フランクアンネの日記』(文春文庫)》

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写真 1、調整池の初日の出2、初日の出を見るノンちゃん3、平山東光院4、富岡山長徳寺

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